死去したことがわかった大豊秦昭氏【拡大】
試合中、攻守交代になってベンチに戻ると、すぐに一本足になる。相手投手に合わせて、トントンとタイミングをとる姿が目に焼きついている。当時の野村監督と対立しても腐らず、むしろ、それを力に変えていた。送ってくれた年賀状は、必ず表裏すべて手書きだった。
見た目はコワモテ。しかし、実は気さくでマジメ。大豊さんの在籍中は3年連続最下位と勝てなかったが、とにかく野球に対して熱かった。不器用さが誤解を招くこともあったが、和田監督は、真摯な人柄に魅了されていた。
「年も近いですし、一緒に戦った仲間なので本当に残念です。心からご冥福をお祈りします」
監督に就任してから、一度も連絡はとれなかった。心にポッカリと穴が空いた。盟友に10年ぶりのリーグ優勝をささげ、少しでも埋めていく。 (阿部祐亮)
(紙面から)