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【ありがとう八十年(174)】長嶋茂雄、かなわなかった夢 幻の日本人野手大リーガー第1号

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
1968年の阪神戦で江夏豊の球に空振りして尻もちをつく。常に全力プレーだった

1968年の阪神戦で江夏豊の球に空振りして尻もちをつく。常に全力プレーだった【拡大】

 僕は立大時代から、米大リーグへのあこがれがありました。1954年の入学時から1年半、猛練習で鍛えてもらった砂押邦信監督の影響です。

 監督は当時では珍しく、メジャーの野球を勉強していました。だから、単なるスパルタ指導ではなく、打撃理論やグラブさばきなど技術面から、野球に対する考え方、メンタル面までメジャー流です。僕が大ファンだったジョー・ディマジオ(ヤンキース)のバッティングの連続写真を2人で見ながら「君は日本のプロではなく、メジャーへ行くべきだ」と言われていました。

 58年に巨人入りしてからもメジャー流の野球をしようと決めていましたし、いつか米大リーグでプレーしたいと目はメジャーを見ていました。チャンスがなかったわけではありません。巨人は川上哲治監督が就任した1961年春、米フロリダ州ベロビーチで初めてキャンプを張りました。そのとき、ドジャースの関係者が僕に目をつけていたのです。

 66年秋に日米野球でドジャースが来日した際、ウォルター・オマリー会長が“プロ野球の父”といわれた正力松太郎・読売新聞社主に「長嶋を譲ってほしい。2年間でいい」と申し入れました。正力さんは「長嶋がいなくなると、日本の野球は10年おくれる」と即座に断ったそうです。巨人は世代交代を進めていた時期でもあり、仕方ありませんね。

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