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【ありがとう八十年(162)】長嶋茂雄、ポジションは遊撃…藤村さんがいたから阪神ファン

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
巨人・長嶋茂雄終身名誉監督

巨人・長嶋茂雄終身名誉監督【拡大】

 終戦(1945年)は臼井国民学校(現臼井小)の4年生の時ですね。まだテレビがない時代ですから、家族全員、ラジオの前に正座して玉音放送を聞きました。ああ、日本は負けたんだって。佐倉町(現佐倉市)役場の収入役だった父(利=とし=さん)が「これからの日本はどうなるんだ」と泣いていたのを覚えていますよ。

 戦争が終わると、住んでいた臼井町(現佐倉市)にも少年野球チームができて、毎日のように試合をしていました。ボールは母(ちよさん)の手作り。夜なべをしてね。近所のゴルフ場で拾ってきたゴルフボールに、帯締めの細いひもをぐるぐる巻きつけたもの。帯締めは硬くてなかなか針が通らないから、何度も針を指に刺しながらね。それでも、何事もなかったかのように、朝起きると「はい、どうぞ」って。

 あだ名は、体が小さかったので「チビ」。近所の犬にも負けないくらい足が速かったから「ポチ」とも呼ばれましたね。ガキ大将の「大将」というのもあったかな。

 初めてプロ野球の試合を見たのも、そのころですね。仲間5、6人と後楽園球場へ行ってね。阪神と東急の試合だったかな。阪神に“ミスタータイガース”の藤村富美男さん、東急には“青バット”の大下弘さんがいてね。僕は阪神ファンでした。藤村さんがいたから阪神ファン。

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