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【ありがとう八十年(157)】杉下茂、制球力抜群の江夏獲得を進言

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
杉下茂氏

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 阪神の投手コーチに就任した1964年は、必死に先発投手をつくった。村山実と両輪だった小山正明が、63年12月に大毎・山内一弘との“世紀のトレード”で移籍。クビ寸前だったジーン・バッキーを残してもらい、キャンプでは投げ方から体の使い方まで徹底的にしごいた。

 中3日で先発するスタミナも必要だから、休みなしで毎日100球近く投げさせた。彼は自分の立場を分かっていたから「イエス、サー」と直立して話を聞いていたよ。そのかいあって、29勝(9敗)、防御率1・89で2冠。リーグ優勝に貢献してくれた。

 《ジーン・バッキーは37年8月12日、米ルイジアナ州生まれの右投手。3Aでプレーしていた62年8月にテスト入団。64年から5年連続で2桁勝利を挙げ、65年には巨人戦でノーヒットノーランを記録した。68年9月18日の巨人戦で王貞治への危険球をめぐって荒川博コーチと乱闘になり、右手親指を骨折。69年に近鉄へ移籍後、引退した。日本通算成績は100勝80敗、防御率2・34。77歳》

 66年は藤本定義監督が総監督となり、僕が監督に就任した。中日監督だった59年に成功したようにチームの若返りを図ったが、投手陣が不調で8月13日に辞任。藤本監督に復帰してもらった。

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