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【ありがとう八十年(95)】古葉竹識、信頼できるコーチ、スカウト引き連れ新天地へ

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
1988年10月2日、初登板で勝利投手になった野村弘樹(右)を出迎える

1988年10月2日、初登板で勝利投手になった野村弘樹(右)を出迎える【拡大】

 広島の監督時代は、監督をやめた後も最低5年間はAクラスでやっていけるチームにしておきたいと思っていました。“あいつだけ、いいめをしやがって”と思われるのが嫌だったのです。

 実際にやってきた自信があったので、将来の監督候補だった山本浩二には「監督就任の要請がきたら、すぐに引き受けろよ」と言いました。僕が退団した翌年(1986年)は、阿南準郎新監督でリーグ優勝。次の山本浩二も就任3年目の91年に優勝監督になりましたね。

 86年はプロ入り以来、初めて外からプロ野球を見ることになりました。ありがたいことに、すぐに大洋から監督就任を要請され、87年から再びユニホームを着ることになったのです。「コーチも連れてきてください」との言葉もいただき、広島時代に支えてくれた寺岡孝にヘッドコーチを、佐野嘉幸に打撃コーチを任せました。

 当時の大洋は、先輩がよく後輩を連れて飲み歩いていました。かわいがるのはいいのですが、プロとしてやらなければならないことができていません。秋季練習でティーバッティングをやらせると、1ケース(約120球)を打っただけで「体が痛い」と言い出す選手がいました。よほど鍛えないと、いい成績は残せないなと覚悟したのです。

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