2014.9.6 05:00(1/2ページ)

【虎のソナタ】最年長記録の前に虎気合負け

谷繁兼任監督(右)と握手する山本昌。左手にはウイニングボール

谷繁兼任監督(右)と握手する山本昌。左手にはウイニングボール【拡大】

 身長1メートル51、体重が51キロしかない監督のところに1人の童顔の若者がやってきた。1952(昭和27)年暮れである。

 立命大のまだ学生のその小柄な選手は、それでも1メートル67、55キロはあったが、あまりに柔和な面構えだ。それで…阪急の監督は「小さすぎる…」といって首を横に振った。

 おかげで、阪神タイガースは“タナボタ”でこの青年を採用することになった。それが吉田義男…世に言う「空前絶後の遊撃手」といわれた、その俊敏なフィールディングは♪京の五条の橋の上…。牛若丸は、ひらりひらりと弁慶を翻弄するのに例えられて『今牛若』と呼ばれたのであります。

 でね、わたしがどーしても気になっていたのはそれだけの名選手の動きをノックしてみて、なぜ見抜けなかったのか? 当時の阪急監督浜崎真二は…ということです。しかも理由が自分は1メートル51しかないのに16センチもノッポのその選手を「小さすぎる」といってスルーしてしまったんだ。逆にその時の阪神の監督は松木謙治郎で1メートル73、79キロなのに、ひとつも「小さい」とは言わなかった。むしろノックの打球を追う動きに「ウーン」とうなって即採用となった。

 もう一度書くが、これがタイガースの歴史を変えたのであります。

 なぜ…その時、浜崎監督は、その若者に“物足りなさ”を感じたのだろうか? 残念ながら聞きそびれたけれど、この夜のナゴヤDの山本昌投手の脂ぎったマウンド姿をみていて、なんとなく「答え」をみたような気がしたのです。

【続きを読む】