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【ありがとう八十年(74)】関根潤三、一にコントロール、二に度胸、三に頭

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レジェンドが語るプロ野球史
大洋監督1年目の1982年、キャンプ初日に球場近くの地蔵に手を合わせる

大洋監督1年目の1982年、キャンプ初日に球場近くの地蔵に手を合わせる【拡大】

 1982年に大洋の監督に就任しました。“浪人”していたミスター(長嶋茂雄氏)に、次の監督をやってもらおうと思ってね。もちろん、当時の大洋は戦力が十分ではなくて、未知の力に魅力を感じて引き受けたんだけどね。

 長嶋巨人の1年目(75年)にヘッドコーチをやらせてもらって、最下位で期待に応えられなかったから義理を感じていたの。彼が大洋のユニホームを着てくれるなら、喜んで監督を譲るつもりでした。だけど、さすがミスター。「巨人以外のユニホームはNO」というのがあったんだろうね。

 《76年は巨人2軍監督を務め、77年から再び評論家生活。大洋球団は長嶋監督誕生を熱望しており、“つなぎ役”を承知しての監督就任だった。しかし、バトンを渡すことはかなわないまま、最下位に終わった84年限りで辞任した》

 大洋では高木豊、屋鋪要ら若手を育てた? 僕が育てたんじゃないよ。選手は自分で育ったの。本人たちが努力したから。僕は練習のスケジュールを作っただけです。

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