2014.7.31 10:07(2/2ページ)

【ありがとう八十年(61)】広岡達朗、「管理野球」でいきなり連続日本一

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
85年6月4日の日本ハム戦でノーヒットノーランを達成した郭泰源(右)を出迎える

85年6月4日の日本ハム戦でノーヒットノーランを達成した郭泰源(右)を出迎える【拡大】

 “広岡野球”が間違っていなかったことを証明できたと同時に、「育てて勝つ」を達成できたのだ。これでようやく西武は全国区になった、とファンの皆さんに宣言させてもらった。心の中では、川上哲治巨人監督のV9を超えるチームを作った、と自負もした。

 ところが、この急激な成功を快く思わない人がいた。私を西武に誘ってくれた根本陸夫球団本部長と側近の球団代表だ。根本さんは85年の阪神との日本シリーズを前に、エース格の郭泰源を治療の名目で台湾へ帰してしまった。球団代表は優勝したら首脳陣の報酬を上げてやると約束しながら、文書にしていないからと無視を決め込んだ。

 エースの東尾修はオールスター後、右肩痛で戦列を離れていた。日本シリーズ前に相手の阪神・吉田義男監督に「うちは東尾も郭泰源もいない。勝たなくていいらしいから、ま、頑張れよ」と軽口をたたいたらマスコミに漏れ、待ってましたとばかりにクビになった。

 V9超えの夢はついえたが、誰が次の監督になっても、ある程度勝てるはずだと潔く身を引いた。私の後の森祇晶監督は8度のリーグ優勝、6度の日本一に輝いている。

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(紙面から)