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【ありがとう八十年(61)】広岡達朗、「管理野球」でいきなり連続日本一

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
1985年の日本シリーズ開幕前日に阪神・吉田義男監督(左)と健闘を誓い合う。このときの軽口が退任につながろうとは…

1985年の日本シリーズ開幕前日に阪神・吉田義男監督(左)と健闘を誓い合う。このときの軽口が退任につながろうとは…【拡大】

 1982年に西武の監督に就任した。3番目の監督候補だったことなんて、どうでもよかった。誰も手を出さなかった「教育&育成」と「優勝」という二律背反する大命題に向かい、家にも帰らず、コーチらと選手を鍛え上げた。

 選手の体調管理のため、食事環境や生活環境にも当然、目を配った。世間から「管理野球」、日本ハム・大沢啓二監督には「ヤギさんチーム」とちゃかされたが、私には一人前のプロ野球選手を育て上げる責任と義務がある。加えて大目標があるから雑音は無視し、“広岡野球”の集大成として推し進めた。

 それが、いきなり実った。就任1年目の1982年にリーグ優勝と日本一。翌年も連続日本一だ。3年目は衰えが見えるベテランを若手に切り替えたため3位に甘んじたが、4年目の85年は若手を前面に出して戦い、再びリーグを制した。

 《82年は前後期制で行われた最後の年で、西武は前期を制し、後期は3位。プレーオフでは、後期優勝の日本ハムを3勝1敗で退けた》

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