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【ありがとう八十年(57)】広岡達朗、35歳“新人記者”をしごいてくれた鬼デスク

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
現役引退後はサンケイスポーツ評論家として自ら原稿を書いた

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 恩人といえば、実はもう一人いる。球界とは畑違いの人だが、間違いなく私の野球理論形成に影響を与えた人だ。

 北川貞二郎さん。サンケイスポーツの編集局長、社長を務め、産経新聞社副会長サンケイスポーツ担当にまでなられた方だ。1967年に私が初めてお目にかかったときは、運動部長をされていた。

 66年限りで現役を引退し、ラジオの解説の仕事は決まっていたものの、それだけでは食べていけず、ずうずうしくも東京・大手町の本社に飛び込みでお願いにあがった。評論家とはいえ、自分で原稿を書く解説者は皆無の時代。担当の記者さんにゴーストライターを頼むのが普通だったが、自分で書くなら、という条件で採用された。

 ここからが大変だった。漢和辞典をバッグにほうり込んでの取材、執筆となり、書いても書いても「差し替え(書き直し)!」。部長自ら原稿を見てくれたのだが、情け容赦のない鬼デスクだった。「手直しされた原稿を書き写せ、暗記しろ!」と35歳の新人をしごくのだ。

 ある時、自信を持って出した原稿を読んでこう指摘してくれた。「君が言いたいテーマは5つだね。一番言いたいのはどれなんだ? それだけを書きなさい。“一点しぼり”といって、原稿の基本なんだよ。そうすれば、読者は君の言いたいことを理解してくれる。あれもこれもは逆効果だ」

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