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【ありがとう八十年(56)】広岡達朗、水谷を日本一の遊撃手に…「素質ない」も諦めず指導

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レジェンドが語るプロ野球史
ヤクルトでは水谷新太郎(左)を徹底指導し、正遊撃手に育て上げた

ヤクルトでは水谷新太郎(左)を徹底指導し、正遊撃手に育て上げた【拡大】

 ヤクルト・松園尚巳オーナーからの「育てろ指令」にわが意を得た私は、いかにもうだつの上がらない20歳の若者に白羽の矢を立てた。水谷新太郎だ。

 私がヤクルトの守備コーチを引き受けた1974年当時、内野の守備の要となる正遊撃手はいなかった。候補は何人かいたが、帯に短し、たすきに長し。そこで思い切って入団3年目、いかにも手あかに染まっていない水谷に目を付けたのだ。

 《水谷新太郎は53年12月7日、三重県松阪市出身の内野手。三重高から72年にドラフト9位で入団。俊足を生かすため、2年目に右打ちから左打ちに転向した。90年に引退するまでの通算成績は打率・250、23本塁打、240打点。91-2006年はヤクルトでコーチ、07年はスカウトを務め、08-12年は横浜、DeNAコーチ。60歳》

 広島で苑田聡彦を一人前の遊撃手に育て上げた経験と自信があったから、何の迷いもなかった。水谷にも毎日、体の正面で捕球する基本練習を繰り返した。

 76年のシーズン途中で荒川さんから突然「監督」のバトンを渡され、コーチの武上四郎と丸山完二に指導を任せることにしたが、2人も「水谷に、そんな素質はありません。モノになったらお慰みです」と半信半疑。それでも一生懸命に教え込んでくれた。

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