2014.7.17 12:13(1/2ページ)

【ありがとう八十年(52)】広岡達朗、軽口からできた川上さんとの溝

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
巨人選手時代の広岡達朗氏

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 川上哲治さんとの話を続ける。川上さんとは年が12も離れていて、実は25歳で戦死した長兄(晋さん)と同い年。入団したときから2人がだぶって見え、密かに“兄貴”と慕って「カワさん、カワさん」と甘えていた。

 川上さんも結構かわいがってくれたが、プロということを忘れて甘え過ぎていたんだね。私が入団した1954年当時、川上さんは選手として晩年を迎え、3割を打つのに四苦八苦していた。ある時、無心でバットを振る川上さんに「カワさんも苦労するね」と軽口をたたいてしまった。私といえば打率は軽く3割を超え、新人王へまっしぐら。意気揚々だった。

 若気の至りだ。「川上さんでもご苦労されるんですね。勉強のため、少し見させてもらってもよろしいですか」とでも言えばよかったのだ。まさか“打撃の神様”ともあろう人が、それを根に持つとは思わなかったが、それ以来、胸の広さまでだった捕球範囲がますます狭くなった。

 《川上哲治は20年、熊本県大村(現人吉市)出身の内野手。38年に熊本工業学校(現熊本工高)から巨人へ入団し、実働18年で首位打者を5度獲得するなど“打撃の神様”と呼ばれた。通算打率・313、181本塁打、1319打点。投手としても通算11勝(9敗)を挙げた。61年に監督に就任すると米大リーグのドジャース戦法を導入し、65-73年に9年連続日本一を達成した。65年に野球殿堂入り。昨年、93歳で死去》

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