2014.7.16 13:00(2/2ページ)

【ありがとう八十年(51)】広岡達朗、川上さんに反逆「あんな下手なファーストじゃ…」

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
1958年10月14日、西鉄との日本シリーズ第3戦で、巨人3連勝に藤田元司と握手を交わす水原茂監督。左から広岡達朗、土屋正孝、水原茂監督、長嶋茂雄、藤田元司、藤尾茂、川上哲治=平和台球場

1958年10月14日、西鉄との日本シリーズ第3戦で、巨人3連勝に藤田元司と握手を交わす水原茂監督。左から広岡達朗、土屋正孝、水原茂監督、長嶋茂雄、藤田元司、藤尾茂、川上哲治=平和台球場【拡大】

 別所さんは、投げるたびに水原茂監督に「あんな下手くそなショートはいない。メシの食い上げだから代えてくれ」と訴えるし、川上さんはもっとひどかった。「わしの胸の広さの範囲に投げてこい。わしは下手くそだから、それ以外は捕れんからな」と送球に注文を付けた。捕れないのではなく、手を伸ばせば捕れる球を捕らないのだ。そのたびに私の悪送球となり、エラーが付く。言うなら新人いじめだ。

 いくら“打撃の神様”でも、これはやり過ぎ。さすがの私も堪忍袋の緒が切れるときがきた。54年4月27日、西京極での洋松戦。3点リードの九回二死から私の2失策と四球で満塁となった。この2つのエラーというのが、例の一塁への“悪送球”だ。投手が中尾碩志(ひろし)さんから笠原正行への代わりばな、青田昇さんに逆転満塁サヨナラ本塁打をくらった。

 試合後、記者の皆さんにコメントを求められ、「あんな下手くそなファーストがいたんじゃ、野球ができるかい!」と言ってしまった。これが川上さんとの“確執”の始まりだ。

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(紙面から)