2014.7.16 13:00(1/2ページ)

【ありがとう八十年(51)】広岡達朗、川上さんに反逆「あんな下手なファーストじゃ…」

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
1958年10月14日、西鉄との日本シリーズ第3戦で、巨人3連勝に藤田元司と握手を交わす水原茂監督。左から広岡達朗、土屋正孝、水原茂監督、長嶋茂雄、藤田元司、藤尾茂、川上哲治=平和台球場

1958年10月14日、西鉄との日本シリーズ第3戦で、巨人3連勝に藤田元司と握手を交わす水原茂監督。左から広岡達朗、土屋正孝、水原茂監督、長嶋茂雄、藤田元司、藤尾茂、川上哲治=平和台球場【拡大】

 1954年に希望通り、巨人に入団した。順風満帆で正遊撃手の平井三郎さんからレギュラーを奪い、打率・314、15本塁打、67打点で新人王を獲得してしまった。

 早大時代、神宮の通算打率は2割そこそこ、ホームランは2本しか打てなかったのに、プロになったとたんにこの成績。職業野球とさげすまれ、プロより社会人へ行け、とよく言われた理由が分かるような気がした。

 プロをなめたわけではないが、実はプロで最初の苦難は4年間続いた。高くなりつつあった私の鼻をポキリと折ってくれたのが川上哲治さん(一塁手。のちにコーチ、監督)と別所毅彦さん(投手。のちにコーチ)だった。

 《別所毅彦は22年、神戸市出身。滝川中、日大(中退)を経て42年に南海入団。49年に巨人へ移籍し、実働17年で通算310勝178敗、防御率2・18を残した。巨人での221勝は現在も球団最多記録。引退後は巨人、大洋のコーチ、68年からサンケイで監督を務めた。79年に野球殿堂入り。99年、76歳で死去》

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