2014.7.15 12:00(1/2ページ)

【ありがとう八十年(50)】広岡達朗、志望は巨人一本…足元見られまいと即答せず

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
巨人投手の堀内庄

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 プロのスカウト合戦は、すさまじいの一言だった。あの長嶋茂雄が南海・鶴岡一人監督の波状攻撃に舞い上がり、立大の同僚、杉浦忠に「おれは南海へ行く。お前も一緒に行かないか」と誘ったという話を聞いたことがあるが、さもありなんだ。

 私なりに考え、プロ入りするなら強いチーム、影響力のあるチームという2つの条件を満たす球団と決めていた。それは巨人以外にあり得なかった。ただ、選手層がどこよりも厚く、レギュラーどころか試合に出してもらえるかどうかさえ分からない。早大で三遊間を組んだ小森光生は私よりずっと評価が高かったのに、試合にすぐ出られるからと毎日に入団した。

 だが、待てど暮らせど巨人からは何の連絡もない。西鉄・三原脩監督にすっかり丸め込まれたおやじ(誠一さん)は「西鉄、西鉄」と迫るし、ジリジリする日々だった。

 《1954年にプロ入りした主な選手は、南海の野村克也、宅和本司、皆川睦男、阪急の梶本隆夫、巨人の堀内庄らがいる》

 そんなある日、巨人から電話で「君を取る用意がある。一度、球団に来てくれ」と呼びつけられた。他球団は間違いなく、迎えの車を回してきた。プロ野球は東京六大学野球の人気、ファンを根こそぎかっさらおうとしていたから、完全な売り手市場。巨人のように“殿様商売”の球団は皆無だった。

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