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【ありがとう八十年(49)】広岡達朗、おやじを西鉄信奉者にした三原監督

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
西鉄・三原脩監督=1954年

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 プロ野球は東京六大学の人気、ファンを選手もろとも頂こうと、この頃からあの手この手で神宮のスターたちの“一本釣り”を始めた。ハイライトは私の4年後の1958年、立大から巨人に入団した長嶋茂雄だ。

 長嶋の話はともかく、私にもプロの話が次々と舞い込むようになった。特に熱心だったのは、同郷で呉市立五番町小の先輩だった南海の鶴岡一人監督。映画プロデューサーを巻き込んで誘いをかけてきた。毎日は小森光生との三遊間コンビが欲しいと、何かにつけて車を回してきた。行き先は神楽坂の料亭。阪神、近鉄も声を掛けてくれた。

 さすがだったのは早大の先輩だった西鉄の三原脩監督。将を射んとすればまず馬を射よ、と実家におやじ(誠一さん)を訪ね、すっかり西鉄信奉者にしてしまった。遠征で使う山陽本線からわざわざ呉線に乗り換え、何度も訪ねてきたという。

 《三原脩は11年、香川県神野村(現まんのう町)出身の内野手。高松中、早大を経て34年に巨人入団。引退後は巨人、西鉄、大洋、近鉄、ヤクルトの監督を務めた。60年に就任した大洋では前年まで6年連続最下位のチームを日本一に導くなど、「三原マジック」「知将」の異名を取った。日本ハムの初代球団社長。83年に野球殿堂入り。84年に72歳で死去》

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