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【ありがとう八十年(46)】広岡達朗、器械体操で鍛えた体!全てのポジションOK

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
広岡達朗氏

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 野球をやるつもりは全くなかった。夢は江田島の海軍兵学校への入学。兄たちは五番町小(現在は小中一貫の呉中央学園。鶴岡一人・元南海監督も卒業生)から呉二中(現呉宮原高)へ進んだが、私は海軍兵学校の予備校のような呉一中(現呉三津田高)に入った。

 《海軍兵学校は終戦の1945年まで呉市の沖合、現江田島市にあった海軍士官養成教育機関。試験科目は身体検査、運動機能、筆記。当時は日本一のエリート校で、倍率は常に20倍以上だった。施設などは現在、海上自衛隊第1術科学校が使用している》

 海軍兵学校での運動は器械体操が主。鉄棒、懸垂、逆立ちなどが求められ、雲梯(うんてい)をよくやった。逆立ちでの50メートル走もやったね。鉄棒は小学生の時に見よう見まねで大車輪もできた。テニスとバレーボールも必修で、海軍兵学校を目指す同級生はみんなやっていた。子供の頃から野球なんてやるのは、藤村兄弟だけだったよ。

 《藤村富美男、隆男兄弟は、呉市出身の元阪神選手。兄・富美男は呉港(ごこう)中(現呉港高)のエースで、34年の夏の甲子園決勝では川上哲治を擁する熊本工を下して優勝した。36年に阪神の前身である大阪タイガースに入団後、三塁手に転向。“物干し竿”と呼ばれた長尺バットで本塁打王を3度獲得するなど「ミスタータイガース」と称され、監督も務めた。74年に野球殿堂入り。92年に75歳で死去》

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