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【追憶のスタジアム(2)】東京スタジアム 「光の球場」で生まれた奇跡

照明がともった東京スタジアム。明るさと美しさから“光の球場”と呼ばれた(本社ヘリから)

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 かつて東京の下町、荒川区南千住に“光の球場”と呼ばれるランドマークがあった。大毎(後の東京、ロッテ)オリオンズの本拠地だった東京スタジアム。1971年5月3日、ここで米大リーグでも例がない空前絶後の出来事があったことを覚えている人は少ない。東映(現日本ハム)が記録した「5者連続本塁打」だ。 (小林忍)

 「何しろ大リーグにもない、とんでもない記録ですよ。忘れようたって忘れられるものではありません」

 まるで昨日のことのように口角泡を飛ばして語るのは、元パ・リーグ記録部長の千葉功(78)だ。当時は連盟に入って8年目の35歳。5者連続本塁打が飛び出した試合で記録員を務めた生き証人なのだ。

 千葉による公式記録のコピーには「1971年5月3日、月曜日、晴れ。フライヤーズ対オリオンズ。観衆11000人。試合開始2時1分、試合時間3時間18分」の文字が躍る。試合は東映が延長十回、14-8で勝ち、連敗を9で止めたが、実は九回表二死までロッテが6-1でリードしていた。東映の10連敗は目前で、東映ファンはもちろん、ロッテファンも多くが席を立ち、帰路に就いていた。

 二死一、二塁から末永吉幸は遊ゴロ。二塁封殺でゲームセットかと思われたが、二塁手の山崎裕之が送球を落球した。これを見落とした二塁塁審の前川芳男が一度はアウトを宣告。東映・田宮謙次郎監督の抗議でセーフに覆ったことが“奇跡”の序章だった。

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