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【ありがとう八十年(37)】金田正一、3年くらいは給料が1円も上がらず

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レジェンドが語るプロ野球史
1964年12月23日の巨人入団会見で、正力亨・球団代表取締役(右)と笑顔で握手

1964年12月23日の巨人入団会見で、正力亨・球団代表取締役(右)と笑顔で握手【拡大】

 1950年8月に国鉄に入団して8勝を挙げても、翌年の月給は1万5000円しか上がらずに4万円(年俸だと48万円)だった。大卒国家公務員の初任給が約4200円だから約10倍だが、この弱いチームで8勝もしたんだぞ。

 2年目はチーム最多の22勝(21敗)を挙げた。4完封、350投球回はリーグトップだったが、翌年は8万円。毎年20勝以上しても、3年くらいは1円も上がらなかった。信じられるか?

 「これでは野球ができない」と言ったんだが、球団は「お金がない」で終わり。だから給料の前借りをしまくった。最終的には千数百万円になったんやないかな。59年に10年目が終わったとき、10年選手制度のボーナスから棒引きだ。

 《10年選手制度は47年に導入され、プロ入りから10シーズン以上、同一球団に在籍すると自由に移籍できる権利が与えられた。52年に改正され、同一球団でプレーした「A級」に「ボーナス受給」か「自由移籍」の権利、複数球団でプレーした「B級」には前者のみが与えられた。A級は3年後の再取得時にB級となるが、A級時にボーナスを選んだ場合は移籍の権利は残った。75年限りで廃止》

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