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【ありがとう八十年(25)】金田正一、球が速すぎて…

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
1950年、国鉄入団当時の金田正一

1950年、国鉄入団当時の金田正一【拡大】

 享栄商(現享栄)高時代の話に戻ろう。いたずらもよくやった。学校側は何度も退学にしようとしたらしいが、そのたびに芝茂夫監督が「おれはこの子と全国制覇するんだ。なぜ、その芽を摘むのか」と守ってくれた。

 球の速さは誰にも負けなかったが、コントロールが悪くて四球や死球は当たり前。チームメートが監督に、「もう金田を投げさせないでくれ」と頼むこともあった。それでも監督は断固として代えずに、投げさせてくれた。だから自分も期待に応えようと、研究した。

 雑誌に巨人・中上英雄さんの投球写真が載っていて、重心がぐっと沈むフォームを参考にした。銭湯へ行くたび、鏡の前でフォームをまねてシャドーピッチング。プロではカーブを8種類くらい投げたが、どうやって投げるかやない。重心が低いから投げられたんや。

 《中上(旧姓藤本)英雄は巨人、中日で通算200勝87敗を記録した右投手。明大で通算34勝を挙げて、1942年秋に明大から巨人へ入団。その年に10連勝し、2年目は34勝を挙げた。44年に25歳で兼任監督となり、監督は46年途中まで務めた。50年6月28日の西日本戦(青森)でプロ野球史上初の完全試合を達成。76年に野球殿堂入り。97年に78歳で死去》

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