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【ありがとう八十年(10)】王貞治、流し打ちせず真っ向勝負

特集:
レジェンドが語るプロ野球史
1964年5月6日の広島戦での“王シフト”。遊撃手の古葉が二塁右、三塁手の興津が遊撃の定位置に守り、三塁線がガラ空きだ(同年5月7日付けサンケイスポーツ1面から)

1964年5月6日の広島戦での“王シフト”。遊撃手の古葉が二塁右、三塁手の興津が遊撃の定位置に守り、三塁線がガラ空きだ(同年5月7日付けサンケイスポーツ1面から)【拡大】

 ところが、プロの投手は球が速いし、変化球もよく曲がり、落ちます。アマチュアは特に変化球が打てないんですよ。三振ばかりしてしまう。悔しいから変化球を打てるように一生懸命に練習するんですが、やっと打てるようになると、今度はそれまで打てていた速球が打てなくなる。食い込まれてしまうんです。プロ入りから3年間の私がこの典型。「オー、オー、三振王!」と何度もやじられました。

 《入団1年目の59年からの三振数は72、101(プロ22年間で最多)、72。62年も99三振したが、63年以降は極端に減り、77年は全130試合に出場しながら、わずか37三振だった》

 私にとっては“副産物”のホームランが出るようになると、対戦チームがいろいろな手を打つようになってきて驚きました。55本のシーズン最多をマークした64年5月5日の広島戦(後楽園)でした。私が打席に立つと、守備に就いていたカープナインがゾロゾロと右方向に移動しだしたんです。三塁手が遊撃の位置まで移動し、三塁線はガラ空き状態。ヒットならくれてやる、と言わんばかりの白石(勝巳)監督の大胆な作戦でした。

 “王シフト”といわれた陣形を各チームが敷くようになりましたが、私は流し打ちをしませんでした。狭くなった間を抜けていくような強い当たりを打ってやる、頭の上を越えてスタンドまで届かせればいいんだろ、と逆に闘志を燃やしました。試しに一度、セーフティーバントをやって二塁打にしましたが、ファンを裏切ったようで釈然としませんでした。

 ◆現在、サンスポ紙面では金田正一氏を好評連載中です◆

(紙面から)