2012.5.8 05:00(3/3ページ)

「ルイビル・スラッガー社」バットの殿堂

特集:
サンスポ50周年企画 National Pastime ~遥かなる野球大国を訪ねて~ 

★同社史上最長は97センチ、最軽量は851グラム

 同社のバット作りの名人がダニー・ラケット氏(64)だ。1969年から43年目。通算755本塁打のハンク・アーロン(78)=元ブレーブスなど、首位打者8度のトニー・グウィン(51)=元パドレス、歴代1位の2632試合連続出場を誇るカル・リプケン(51)=元オリオールズ=ら殿堂入り選手のバットを手がけてきた。

 アーロンはルースと同じ長さで似た形のバットだったが、素材をホワイトアッシュにして重さを33オンス(約936グラム)に抑えていた。同社史上最長のバットは、殿堂入りしたアル・シモンズ(元アスレチックスなど)の38インチ(約97センチ)。同じく殿堂入りのジョー・モーガン(68)=元レッズ=らの30オンス(約851グラム)が最軽量。

★余った大量木片は七面鳥の飼育に利用

 バット製造の過程で出る大量の木片は意外な所で再利用されていた。隣接するインディアナ州の農場へ大型トラックで運ばれ、七面鳥の飼育に使われていた。

 「以前は家具メーカーから譲り受けていたが、木片のサイズがバットの方が小さいのでヒナを育てるのに向いている」と七面鳥を飼育するウェイン・ワグラー氏(50)。2000年から室温を33度に保った専用の飼育場の床にバットの木片を敷き詰め、5カ月周期で2万9000羽のヒナを育てている。床をよく見ると、グリップの破片が混じっていた。

 米国では感謝祭(11月の第4木曜日)で七面鳥の丸焼きを食べるのが慣習。由来は諸説あるが、食料が乏しく、七面鳥がごちそうだったイギリスからの移民当時をしのび、収穫に感謝するためといわれている。バットは野球だけでなく、米国民の食文化とも深くかかわり合っている。

★ケンタッキー・ダービー開催地

 ルイビルはケンタッキー州西部の工業都市で人口は約60万人(全米27位)。市名は米独立戦争を支援したフランスのルイ16世に由来。5日(日本時間6日)にケンタッキー・ダービーが行われたチャーチルダウンズ競馬場は空港と市街地の間にある。バーボン・ウイスキーの本場で醸造所が多くあり、郊外にはケンタッキー・フライドチキンの創業者カーネル・サンダースの博物館もある。地元出身の最も有名なスポーツ選手はボクシングの元世界王者モハメド・アリ(70)で、2005年に記念館がオープンした。

★大人11ドル、子供6ドル

 日本からルイビルへの直行便はなく、シカゴ(成田から日本航空、全日空などが就航)経由が便利。バット工場と博物館はルイビルの市街地にある。クリスマスなどの全米祝祭日以外はオープン。入場料金は大人11ドル(約880円)、6-12歳の子供が6ドル(約480円)。入場料金に含まれるガイド付きの工場見学ツアー(約30分)に参加すれば、ミニバットがもらえる。年間訪問者は2万5000人。

★木工所から120年の歴史

 ルイビル・スラッガー社の120年を越える歴史は木工所から始まった。1883年に17歳のバド・ヒラリックが仕事を抜け出し野球観戦。不振でバットを折ったピート・ブラウニングという選手を父親の木工所へ連れて行き、希望を尋ねながらホワイトアッシュ製のバットを作った。ブラウニングは翌日の試合で3安打。同僚に紹介したため注文が殺到した。ヒラリックは翌年、18歳で同社を創立した。

★日本コーナーには張本、王氏モデル

 入場券売り場の壁には、過去に同社と契約した約4000選手の名前が張り出されている。日本のコーナーもあり、長嶋茂雄・巨人終身名誉監督(76)ら22人の名前があった。ただ日本で高品質のバットが製造されるようになったためか、1972年が最後になっていた。同社の日本への輸出も現在は金属バットが中心だ。

 保管室には、ルースら約3000選手のバットのモデルが並んでいた。「張本見本 32オンス厳守」と太字のマジックで書き込まれた張本勲氏(71)のバットもあった。通算868本塁打を誇る王貞治・ソフトバンク球団会長(71)のバットも保管されていたが、現役時代は日本製を使っていた。王会長によれば「王モデルを作りたいとの依頼があり許諾したもので実際にプレーでは使用していない」という。

(紙面から)