バッキー氏、今ではいい思い出…王さんとの大乱闘

ワンス・アポン・ア・タイム(3)
バッキー(右、背番号4)に詰め寄る王。両軍入り乱れての大乱闘となった

 毎週火曜日に旬な話題をお届けする新企画「サンスポ火曜ワイドスペシャル」。4月は阪神助っ人歴代最多の100勝を挙げたジーン・バッキー氏(80)による「ワンス・アポン・ア・タイム~昔々の物語」を全4回で連載します。第3回は1964(昭和39)年の逆転優勝と、68年のあの乱闘劇について…。 (聞き手=丹羽政善通信員)

(1)64年逆転Vの大黒柱

 (バッキー氏は同僚の小山正明氏や村山実氏を見習って、チームの大黒柱へと成長する)

 今でも思い出すのは、1964年終盤のダブルヘッダー(9月26日)かな。相手は大洋で、阪神が負ければ大洋が優勝だった。僕らは連勝しないといけない。僕が第1戦に先発することは決まっていたんだけど、前日に藤本(定義)監督に呼ばれて、聞かれたんだ。

 「バッキーさん、2試合目は、リリーフならいける?」

 「カントクサン、ダイジョウブ」

 1試合目は僕が完封して5-0で勝った。2試合目は3-2の九回一死から投げた。2連勝して、そのまま勢いに乗って優勝したんだ。あのときはうれしかったな。今でもきのうのことのように思い出す。甲子園には4万5000人のファンがいた。興奮したね!

 その翌年だったかな。王(貞治)さんが「バッキーさんが沢村賞とMVPを獲るべきだった」って言ってくれたんだ。でも王さんはあの年、55本塁打を打っていた(MVPは王)。文句なくMVPは王さんだと思うけどね。王さん本人からそう言ってもらえて、うれしかったのを覚えている。

 王さんは僕から何本のホームランを打ったんだろう? 8本? 8本かあ。そのうちの1本は、ライナーで後楽園のライトスタンドに突き刺さった。二塁ライナーかと思ったら、そのままスタンドへいったからね。はっきり覚えている。

 65年には、6月28日の巨人戦(甲子園)でノーヒットノーランも達成した。これも強く記憶に残っている。阪神から目録をもらったんだ。まだ取ってある、ほら。でも何をもらったんだろう? 覚えていないけど、オクサン(ドリス夫人)が全部、こういうのを取っておいてくれた。64年に29勝したときのウイニングボールも全部、この家のどこかにあるはずだ。

(2)実は荒川さんとすぐ仲直り

 68年にも、印象深い思い出があるよ。9月18日の巨人戦(甲子園)。あれもダブルヘッダーだった。

 あの2球目は確かに内角だった。王さんが「バッキーさん!」って言っているのがわかった。僕は日本語で「ごめんなさい」と言った。日本語で「わざとじゃない」と説明しようとしたんだけど言葉が出てこなくて。フランス語になってしまった(※バッキーは祖父がフランス人)。そうしたらバーッとみんな出てきた。それからはもう何が何だか…。

 でも、もし(巨人の)荒川さん(博コーチ)が何もしなかったら、あんなふうにはなっていない。あのとき、荒川さんが僕の左太ももあたりをスパイクで蹴って、ズボンが裂けた。さすがに許せないと思った。そこで僕は、荒川さんの頭を殴ってしまった。親指を骨折したのも、そのときだ。

 でも王さんも荒川さんも分かってくれていた。野球ではああいうことが起こりうる。過剰反応した選手がいて、ああなってしまったことを。

 実は荒川さんとはすぐに仲直りというか、話をした。荒川さんが僕のところにきて「親指はどうだ?」と聞いてきたので「ダイジョウブ」と答えた。僕が「頭はダイジョウブ?」と聞いたら、ちょうどおでこの上の方にVの字の傷があった。「まるでVICTORY(勝利)のVじゃないか」とお互いにジョークを交わした記憶がある。

 王さんとも遺恨はない。僕は日本で9本、ホームランを打っている。あるとき、後楽園でホームランを打つと、一塁を回るとき、王さんに「いいですね!」と声をかけられた。僕は「ソウネ」と返した。その試合は3打席目でもホームランを打った。今度は「王サント、オナジデスネ」と言ったら、笑っていたよ。

 彼は人格者だ。オールスターでも一緒だったから、よく話をした。いい友達だった。 (つづく)

★バッキー、乱闘VTR

 1968年9月18日の巨人とのダブルヘッダー(甲子園)。第2試合に先発したバッキーは四回、1打席目に死球を与えていた巨人・王貞治へ2球続けて厳しいボールを投げ込み、王が激高。大乱闘に発展した。バッキーは巨人・荒川博コーチを殴って、右手の親指を骨折。バッキーと荒川コーチの退場で再開されたが、代わってマウンドに上がった権藤正利が、王の後頭部に死球(王は昏倒し、病院へ)を当て、またも大乱闘となった。球場が殺気立つなか、続く長嶋茂雄が権藤からホームラン。野球で勝負をつけ、巨人が10-2で大勝した。

★1964年の阪神

 巨人、大洋との三つ巴から巨人が脱落。迎えた9月26日の大洋とのダブルヘッダー(甲子園)。2・5ゲーム差で首位の大洋に1つでも負ければV逸の状況で2連勝し、0・5差に。全日程を終えた大洋に対し、阪神は29日の国鉄戦、30日の中日とのダブルヘッダーと3連勝し、大逆転優勝。バッキーは29勝9敗で最多勝、最優秀防御率に輝き、外国人投手で初めて沢村賞に選出された。日本シリーズは南海に3勝4敗で敗れた。

ジーン・バッキー(Gene Bacque)

 元投手。1937年8月12日、米ルイジアナ州出身、80歳。サウスウエスタン・ルイジアナ大からマイナーリーグを経て62年8月に阪神にテスト入団。上手、横手からの変幻自在な投法とナックルボールを武器に、64年に29勝9敗、防御率1・89で最多勝、最優秀防御率に輝き、外国人投手初の沢村賞を受賞。チームを優勝に導いた。同年のシーズン200奪三振は2014年にメッセンジャー(226奪三振)に抜かれるまで、阪神の外国人投手のシーズン最多記録だった。1965年6月28日の巨人戦(甲子園)ではノーヒットノーランを記録。69年に近鉄に移籍し、同年引退。通算8年で251試合登板、100勝80敗、防御率2・34。現役時代は1メートル91、91キロ。右投げ右打ち。

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