長嶋茂雄さんの告別式で弔辞を述べる松井秀喜氏=8日、東京都内(読売新聞社提供) 3日に肺炎のため、89歳で死去した巨人元監督、長嶋茂雄さんの葬儀・告別式が8日、東京・品川区の桐ヶ谷斎場「雲」で非公開で営まれた。まな弟子の元巨人、松井秀喜氏(50)が弔辞を読み、「私は長嶋茂雄から逃げられません。これからもそうです。それが私の幸せです」と感謝の思いを伝えた。後日、お別れの会が開かれる。
弔辞に立った松井氏は、祭壇に飾られた満面の笑みを浮かべる長嶋さんの遺影に向かって、自身も笑顔で見つめ返し、語り始めた。
「監督、きょうは素振りないですよね? その目を見ていると、『バット持ってこい。今からやるぞ』と言われそうでドキッとします。でも、今はその声を聞きたいです」
入団時から続いたマンツーマンの素振り指導。長嶋監督の東京ドームでの最後の指揮となった2001年9月30日。ミラールームで、松井氏は途中から号泣。「何、泣いてんだ。タオルで涙ふいて、ほら振るぞ」。長嶋氏からそう促され、〝最後の素振り〟を終えたはずだった…。しかし、翌日の阪神戦(甲子園)。宿泊先のホテルで、長嶋さんからいつもと変わらずに「さあ、やるか!」と声掛けされ、一瞬絶句したという。
それはヤンキース移籍後も長嶋さんが渡米したとき、時には国際電話で続き、「私と二人で素振りをするときは、バットマン長嶋茂雄になりました。それが私の日常でした」と振り返った。
また、97年オフに中堅から石川・星稜高時代に守った三塁へのコンバートを直訴したが、長嶋さんは「俺はお前を(ヤンキースの伝説の選手である)ジョー・ディマジオにしたいんだ」と即却下。後日、長嶋さんの自宅を訪れた際、ディマジオのバットと大きな写真を目の当たりにし、「本当に幸せに感じました。それから私は喜んでセンターが大好きになりました。私が引退して、監督にあいさつに行ったとき、『監督がジョー・ディマジオって言ったから、私、ヤンキースに行ったんですよ』って言ったら、この(祭壇の)笑顔を見せてくださいました」と懐古した。
30年以上にわたって続いた師弟関係。松井氏は「私は長嶋茂雄から逃げられません。これからもそうです。それが私の幸せです」と、師は〝永久に不滅〟に生き続けるとした。その上で「なぜ私だったのか、なぜ私にたくさんのことを授けてくださったのか。その意味を、その答えを、自分自身が心の中で、監督に問い続けます。今度は、私が監督を逃しません。ですから、今日は『ありがとうございました』も、『さようなら』も、私は言いません。今後も引き続き、よろしくお願いします」と締めた。
4日に弔問のために長嶋邸を訪れた際、「長嶋監督との生前の約束を果たしたい」と語った松井氏。この日の閉式後、その約束について「(改めて)監督が何を望んでいるかっていうね、それも監督に、自分の心の中で聞いてみます。それで答えを出していきたい。先日、『約束』という言葉を使いましたが、これからの自分自身と監督との対話で、監督が導いてくれるんじゃないかなと思っています」。天国との会話のキャッチボールの先に、松井氏が下す決断に注目が集まる。(東山貴実)