過去にサンケイスポーツ(大阪版)で連載された、球史の中で輝いた男たちを取り上げる「プロ野球三国志 時代を生きた男たち」をサンスポ公式サイトで再録。今回は2013年1月11-23日に掲載された元阪神の川藤幸三氏だ。〝球界の春団冶〟の波瀾万丈の物語。レギュラーにすらなれなかった男が、強烈な個性で生き抜いたタテジマひと筋19年の足跡を振り返る。
快速球投手・白石静生の球が見えないから避けられずに死球になった川藤を、監督金田正泰は「球を怖がらん。使える」と判断してしまう。小さな誤解が、その年、川藤の出場試合数キャリアハイという現実を生む。
1974(昭和49)年、代走、守備固め中心ながらも106試合に出場した。この頃は江夏豊、田淵幸一、藤田平らタテジマ史に残る猛者の全盛時。彼らに混じって川藤も戦力になっていることを実感した1年だった。
「翌年は絶対にレフトのレギュラーが獲れると確信していた。もう、有頂天や。オフも酒ばかり飲んで、節制なんて全くしなかったんや」
そんな状態で迎えた75年1月の自主トレ。いきなりアキレス腱に違和感を感じた。「まずい」と思いつつも、黙って練習を続けていたらトレーナーの杉田由嗣が異変に気付いた。
「これはアカン。すぐに練習を止めろ」
川藤は慌てて口止めする。