15日間で入場券完売の満員札止めとなった大相撲夏場所後半のある日、両国国技館内で偶然の再会が2つあった。
通路を歩いていると背後から名前を呼ばれた。振り向くと、退社したかつての後輩記者がいた。コロナ禍で別れのあいさつもままならなかったが、現在は別の会社に勤務し、その仲間と訪れていた。平日の昼間、2つのます席を確保して一献傾けながら相撲観戦。雑談にも余裕が感じられ、上々の転職をうかがわせた。
いま一人は昨年引退した元力士。最高位は幕下中位だったが、大阪・北区の駅近くのビルで「ちゃんこ居酒屋」をオープンさせている。10席ほどの店舗だが、連日、元力士の店と聞きつけた来客で「満席が続いています」と、大きな体をゆすった。
大相撲には特徴的なセカンドキャリアが存在する。その代表が「ちゃんこ鍋」の店だろう。相撲部屋での食事を指すちゃんこの献立は、部屋のおかみやちゃんこ番が担当。調理は主に幕下以下の力士が班をつくって交代制で回していく。
そのリーダーを「ちゃんこ長」と呼び、10年も経験すると台所仕事に精通して買い物の段取り、魚の下ろし方、野菜の切り方。米のとぎ方、鍋、食器の洗い方から火の始末、包丁の研ぎ方やしまい方は、玄人の域に達する者もいる。
相撲部屋にちゃんこ鍋が定着した背景は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて、大相撲の本流といわれる出羽海部屋への入門者が急増し、大勢の力士に対して個別の配膳が難しくなった事情を受けて、「角聖」といわれる元横綱常陸山の出羽海親方が、栄養価があって一度に大量に調理できるようにと考案されたといわれる。
同部屋は昭和初期には200人もの力士を抱えたそうで、当時の部屋の関取衆はちゃんこ番にも敬意を払い、OBにはこうも伝わっていたそうだ。
「横綱、大関は相撲協会の宝なら、ちゃんこ番は部屋の宝」
力士は食べることが仕事。体を大きくすることは、力士人生をも左右する。さらに、ちゃんこ長は、師匠がなかなか目の届かない入門したばかりの新弟子らにも気を配り、力士としての教育を担うこともある。
5月の夏場所では、6場所出場停止で番付を大きく落とした元大関の朝乃山が9場所ぶりに幕内に復帰。12勝を挙げ、館内を盛り上げた。幕下15枚目格付け出しで初土俵を踏み、十両2場所目で14勝1敗と大活躍した19歳のホープ、落合改め伯桜鵬(はくおうほう)は7月の名古屋場所での新入幕を決定的とした。所要3場所での新入幕となれば、幕内遠藤と並んで昭和以降最速となる。
こうした出世の早い逸材や、アマチュアで実績を残して幕下や三段目付け出しでデビューする朝乃山のような学生相撲出身の多くは、最初からちゃんこ番を経験する機会すらない。自慢の料理を武器にして第2の人生を踏み出した元力士の笑顔には、すくわれた思いがした。店で食するちゃんこ鍋は確かに違う。きっと、「部屋の宝」の滋味にあふれているからだろう。(奥村展也)