ノーヒットノーランを成し遂げた天理大・真城。本紙記者とも縁がある投手が全国の舞台で輝いた=東京ドーム(撮影・佐藤徳昭) 5日に開幕した第72回全日本大学野球選手権。東京ドームで行われた1回戦で、阪神大学野球春季リーグを優勝した天理大の真城翔大が、西南学院大戦で大会史上8人目のノーヒットノーランを達成した。マウンド上で喜ぶ姿は初々しくて、大学4年生にしては幼く見える。
いかにも好青年。将来、娘が彼氏として家に連れてきたとしても、玄関で立ちはだかることなく、リビングには通すだろう。さらに「僕、大学時代は野球をやっていまして、全国大会でノーヒットノーランをしたことがあるんです」なんて言われたらねえ。彼はそんな自慢をしなさそうだけど、「母さん、Uber Eatsで何か頼もうか」ってなるだろうな。
ちょっとニヤニヤしながら妄想をしていると、その横で苦々しい表情をしている男がいる。ルーキー記者の中屋友那だ。
「悔しいですね。学年が近い後輩には負けたくないっていう気持ちがあるので…」
なぜこんなことを言うのか、彼の経歴から改めて説明しよう。高知県出身の中屋は、高知中3年時にU―15アジア選手権で侍ジャパンに選ばれ、高知高3年時にはエースとして選抜大会で甲子園に出場した。今回、快挙を成し遂げた真城は、1学年下のご近所さん。中村小学校時代は同じ軟式野球チームの中村スポーツ少年団に所属し、4年生時には投手・中屋、捕手・真城でバッテリーを組んでいた。
ちなみに中屋が「1番・投手」だった6年時は、真城が「3番・遊撃」で高知県大会に優勝。真城がエースとなった翌年は同準優勝だった。彼にとっては、中屋先輩はあこがれの存在だったはず。いや、目の上のたんこぶだったか。まあ、聞いていないから知らんけど。
当時の思い出はとにかく毎日、野球をして遊んだことだ。「家でゲームをするなんてなかったですね。家の近くに大きな公園がいくつもあったので、どこでも野球ができましたからね。だから、大学時代に関西に出てきて、公園で『野球禁止』の看板を見たときにはビックリしました」。