パシフィックブリューイングの「ラッキーナンバー」(左)と「パシフィックIPA」(缶も) パシフィックブリューイングの存在を知ったのは、毎号手にするフリーマガジン「METROMIN.(メトロミニッツ)」でだった。
東京・神田にあるC・Tokyo(この連載ではビール会社名イコール直営店の名前でない限り、高田馬場B食堂とかクラフト麦酒酒場C中野店とか、お店についてはフルネームを出さないことにしている)という角打ちの店主とパシフィックブリューイングのブルワー(醸造家)が対談していた。ちなみに角打ち(かくうち)とは、お店の一角を飲酒スペースとして提供している酒店のことだ。
対談が載ったのは「METROMIN.」235(2022年6月20日)号。対談によると、C・Tokyoは白石達磨さんといい、パシフィックブリューイングの醸造家は大庭陸さん。ふたりは02年に知り合ったという。白石さんがクラフトビール専門誌「TRANSPORTER」の編集長を務める傍らバントをやり、毎年夏に高校生のバンド合宿に同行していた場所が、大庭さんが勤めていた「志賀高原ビール」の近くだったことが出合いのきっかけだった。
大庭さんのポリシーは「歴史に学び、現代を生きる」。白石さんにこう話している。「おいしいビールができました、終わり、じゃなくて、なぜそのビールを造ったのか、そのビールの先になにを伝えていくか」「希少性だけがビールの一期一会じゃない。10年20年変わらないビールの中にも、大事なものって絶対詰まっていると信じて、ふたつの定番ビールを造っています」。