桂米朝さんの葬儀に参列した上岡龍太郎さん=2015年03月25日 2000年に芸能界を引退した上岡龍太郎さん。2015年3月25日、大阪府吹田市で営まれた落語家、桂米朝さんの合同葬に出席した。
出棺を見届けた上岡さんに声を掛けると、本人であることは認めながらも「一般人ですから」とノーコメントを貫く。最寄り駅に近づいたころ、長男の小林聖太郎監督が撮った映画「マエストロ!」の話を振ると、すでに何回か映画館で見たことをほほ笑みながら明かし、根負けしたように、米朝さんについて語ってくれた。
「ただただお礼を(言いました)。『おまはんも、もう一門みたいなもんや』と言うてくださっていたのでね。ほんと、ありがたかった」
当時、上岡さんが公の場で発言するのは11年12月の「立川談志お別れ会」以来3年3カ月ぶり。若いころは米朝さんに弟子入りも考え、2000年には共著「米朝・上岡が語る昭和上方漫才」を出していたこともあり、「横山ノック、桂枝雀、立川談志、夢路いとし・喜味こいし、米朝師匠。ボクのあこがれてた人が、これで全部亡くなりました」と話した。
「米朝師匠のすごいところは可朝、枝雀、ざこば、吉朝と形の違う弟子を育てたこと。それだけ米朝師匠も幅が広かったんでしょう」
功績に敬意を表す一方で、「『桂米朝』は永久欠番。100年くらい経って、知らん人ばっかりになったら(名跡を)継いでいいかもしれんけど、継いだ人がかわいそう。誰か下手なんが継いで『悪いけど、米朝は…』と言えるのもオモロいかもしれんけど」とニヤリ。上岡節は健在だった。
「好きだった人が全部向こうに逝きはったんで、僕も早いこと逝った方が楽しそうやな」。米朝さんは、それを8年、許さなかった。(サンケイスポーツ文化報道部記者・笹井弘順)