■5月30日 『涙の敢闘賞』という映画があった。戦争前後の年2場所時代に大関を務めた名寄岩が、糖尿病や内臓疾患と戦いながら大関陥落後の昭和25年夏場所、幕尻で9勝6敗と奮闘し敢闘賞を受賞した感動の実話。本人が出演し話題を集めた。トウフで腹を満たし自らインスリンを注射して昭和29年秋場所、40歳になるまで土俵を務めた。
昔話はさておき、けがと戦った横綱照ノ富士の見事な復活優勝で夏場所は幕を閉じた。大関昇進を確実にした霧馬山をはじめ4関脇が全員2桁勝ちしたのは昭和以降で初めてとか。昔から言われる「関脇が強い場所は面白い」を裏付けるような場所でもあった。
来場所へ向けいい余韻を残して終わったと思いきや三賞受賞者を見てびっくりした。三段目からはい上がった再入幕場所で優勝争いに加わり、場所を盛り上げた朝乃山の〝涙の敢闘賞〟再現を予想したが、敢闘賞は「該当者なし」。12勝は照ノ富士の14勝に次ぐ2番目の成績で関脇陣をしのいだ。それでも朝乃山は賞をもらえなかった。
名寄岩の例もあるのに「元大関」ではダメなのか。佐渡ケ嶽審判部長(元関脇琴ノ若)は「元大関なので13勝はほしい」と説明した。ならば、大関陥落後の平成17年九州場所(東前頭5枚目)10勝5敗、21年九州場所(西9枚目)12勝3敗でともに敢闘賞を獲得した雅山(現二子山親方)のケースとどう違うのか。
元にこだわらず、その時点の地位で判断しなければ番付の意味はない。朝乃山は先場所、東十両筆頭で13勝しながら番付は4枚しか上がらなかった。さらに三賞…。こう不運が続くとまだガイドライン違反が尾を引いているのでは、と勘繰られても仕方ない。(今村忠)