試合前に円陣を組む阪神ナイン。1週間後、この京セラドームで開幕を迎える=京セラドーム大阪(撮影・榎本雅弘) 昼下がりのサンスポ編集局は「ウルトラマン死す!」の話題で持ちきりだった。俳優・団時朗さんの訃報が飛び込んできたのだ。社内の上層部は、みんながウルトラマン世代。それぞれにショックを受けていた。
「主人公は郷秀樹やった。当時の人気スター、郷ひろみと西城秀樹がくっ付いたネーミングやったなあ」
編集局長・生頼秀基(この男も名前はヒデキだ)は遠い昔を振り返ってしみじみ。
整理部長・矢田雅邦は「僕の一番好きだったウルトラマンでした。丸太で特訓したウルトラマンは彼だけでしょう。怪獣ロボネズにウルトラマンが腕を噛まれたんです。そうしたら、変身が解けた郷秀樹も腕にけがをしていました」と〝そこに気づくか?〟というぐらいに詳しいこと、詳しいこと。
世代的には少し下の運動部長・堀啓介も思い出がある。
「僕の年代のドンピシャはウルトラマン80です。でも、再放送で何度も何度も見たので、『帰ってきたウルトラマン』は思い入れがありますよ」
その後、みんな大好きだった怪獣を挙げたり、「(初代)ウルトラマンがゼットンに負けたときはショックやった」「〇〇はゴモラが大阪城に現れた翌日に大阪城を見に行ったらしい」などなど、それぞれのウルトラマン話が次から次へと。
これが「憧れ」だ。少年時代に抱いた思いをいつまでも…。
ワールドベースボールクラシック(WBC)の決勝戦前、スーパースター、大谷翔平(エンゼルス)が名言を発していた。
「きょうだけは憧れるのをやめてください」
何回聞いても、最高のフレーズ。だが、同時に思うのだ。「憧れ」はそう簡単には辞めることはできない。現在の野球少年は、永遠に大谷を憧れ続けるはず。そういうものだ。
今から51年前の1974年3月24日。父に連れられ、日生球場で行われた近鉄バファローズ-阪神タイガースのオープン戦を観戦した。
その試合に出場していたのが高卒ルーキー、掛布雅之。そして、光景は脳裏に焼き付いている。4打数4安打だった。