日本ハム・新人合同自主トレで大谷翔平を視察する山田正雄GM=2013年1月 栗山英樹監督(61)と大谷翔平投手(28)のコンビが侍ジャパンをWBC優勝に導いた。両者の姿に「うれしい、感無量」と話す一人が、日本ハム・山田正雄スカウト顧問(78)だ。
2012年秋のドラフト候補として注目されていた大谷が、花巻東高を卒業後に「MLBを目指す」という情報が入り、メジャーリーグのスカウトが面談のため来日したほどの騒ぎになった。
日本国内のドラフトで指名しても、大谷が米国行きを選ぶと指名権を捨てるリスクがあり、他球団が指名を回避した中で日本ハムは敢然と1位で指名した。その当時のGMが山田氏であり、『二刀流容認』を含めた球団の育成方針をまとめ、提示もした。
「二刀流を勧めたのが僕といわれているけど、違う。決められなかっただけ。本当なら、投手か野手のどちらかに絞ってリストにしなければいけないのに、できなかった。それで栗山監督にそういう方向の話をして、それを監督がうまく育ててくれた。自分に決断力がなかっただけ」
山田顧問は決断できなかった理由として、投打に抜群の才能があり、過去にそこまで悩む逸材がなかったという。実際に2007年秋、最速145キロを投げていた中田翔(大阪桐蔭高で投手と外野手、現巨人)を外野手で指名していた。
大谷をドラフトでは投手として指名したが、どちらで育てるか山田顧問は決めず、現場=監督に一任の方向で話した。
「栗山さんは、今もそうだけど、常に勉強する姿勢でいる。人間性だと思うが、固定観念にとらわれないで、人の話をよく聞いて、自分で見て判断していく。栗山監督が『まずキャンプで見て』ということで了解し、その後、両方を見ていった」
二刀流の育成術は、あるときは週に3日間が投手、3日間が野手で練習することもあった。故障のリスクがあったり、成長を阻害するような投手用トレーニングの回避、打撃練習希望を剝奪することによるストレスをなくし、投手・野手の可能性を無限大にしたのは、この期間だったかもしれない。
日本ハムの通算5年間、投手として42勝、打者として48本塁打、166打点、打率・286。世界一を奪還し、MVPに選ばれた28歳は、今後投手としても打者としても記憶に残る『Two-Way Player』の道を進んでいくだろう。