優勝し喜ぶ大谷翔平(中央)らナイン=米フロリダ州マイアミのローンデポ・パーク(撮影・水島啓輔) ■3月23日 「巌流島の決闘」もかくや、と思わせた大谷-トラウトの同僚対決にはまさに息が詰まった。1次ラウンドの中国戦が始まりこの半月、本当にいいものを見せてもらった。締めくくりに武蔵ならぬ二刀流大谷がトラウトを三振に仕留めた大団円は「筋書きのないドラマ」などという域を超え、まるで噓のようではあった。
舞台となったローンデポ・パークはかつてオレンジボウルという球技場だった。96年アトランタ五輪の男子サッカー1次リーグで日本が優勝候補のブラジルを1対0で破り、〝マイアミの奇跡〟と騒がれた。マーリンズの本拠地として生まれ変わって今度は〝マイアミの歓喜〟となった。
そんな昔話で長嶋茂雄さんを思い出した。80年に巨人の第1次監督解任後、12年間の充電期間で3回の五輪を見た。「スポーツは五輪競技になって初めて世界に認知される。野球も五輪にいるかどうかでその地位が大きく左右されることを実感した」という長嶋さんの話を伝え聞いたことがあるが、残念ながら野球は来年のパリ五輪にはない。
世界一になったからではなく、「時間がかかりすぎテレビに向かない」とIOCがイチャモンをつけても日本人にはこれほど面白いスポーツはない。ヌートバーのように親のどちらかがその国の国籍を持っていれば代表になれるなど多様性もある。五輪競技として出たり入ったりしているのがフシギなくらいだ。
1次リーグで〝露払い〟を務めたチェコの監督が「日本でやりたい選手がどんどん出てくれば」と話した。世界王者になったからにはそうした発展途上国の支援や、さらなる普及に尽力し五輪復帰を率先して訴えるのも責務になるのではないか。(今村忠)