ゴルフ界きっての評論家で解説者の戸張捷氏(77)とは親しい友人で30年以上の付き合いだ。
1995年7月、英国スコットランドのエディンバラ空港で、一人でゴルフクラブバッグを肩にかつぐプロゴルファーに遭遇した。「キング・オブ・ゴルフ」と称された米国のアーノルド・パーマー選手(65)=当時=だった。最後の出場となったメジャー大会のひとつ、全英オープンを後にする姿を感動と寂しさが交錯する複雑な思いで眺めた。
私がエディンバラに来たのは、セントアンドリュースでゴルフをするのではなく、テレビ中継に出演する戸張君の健康状態をウォッチングするためだった。
というのも、彼の右肺には小指頭大の肺がんの影があった。帰国すれば肺に内視鏡を入れる気管支鏡検査が予定されている。その頃の気管支鏡はかなりの苦痛を伴った。本来なら既に入院の予定であった。
しかしライフワークである日本の女子プロ選手権・フジサンケイレディスと全英オープンだけは放映したいということで、私が同行することになった。幸い体調に変わりはなく、その年が全英オープンのデビューとなったタイガー・ウッズ選手のことなどを食事の際に話題にして過ごせた。
そして東京に戻った。慶大病院では当時の肺外科で担当した小林紘一教授と川村雅文講師らが集まってくれた。レントゲンにもCTにもあの影がない。放射線科も皆集まった。消えていた。「ヴァニシング腫瘍」と呼ばれる消えた腫瘍(一過性腫瘤状陰影)だったのだ。
右肺は3つのブロックに分かれており、分かれ目の間に炎症があった場合、正面から見ると腫瘍のように写る。日本を離れていた2週間に服用した抗生剤が炎症を消したとしか解説のしようがない。その戸張氏に気管支鏡を施行するのは大変だった。暴れまくった。でも無事で良かった。
この記事をシェアする