3月1日にソロ活動の集大成となるベストアルバムをリリースした未唯mie。波瀾万丈な人生を経て、アーティストとして成熟した歌声と変わらぬ美貌を保ち続けている=産経新聞大阪本社(撮影・斉藤友也)
ギャラリーページで見る1970年代後半に一世を風靡した女性デュオ、ピンク・レディーの未唯mie(65)が、ソロデビューから42年目を迎えた。3月1日の〝ミイの日〟にソロ活動の集大成となるベストアルバム「MIE to 未唯mie 1981-2023 ALL TIME BEST」をリリース。そこにはエンターテイメントシンガーとして出発した「MIE」が苦悩を乗り越え、アーティスト「未唯mie」へと成長する過程が刻まれている。(取材・澄田垂穂、カメラ・斉藤友也)
衝撃的な出会いだった。昨年ソロ活動の集大成として、ベスト盤を出すことが決まっていた中でのこと。アーティストとしての魂がうずいた。
「一瞬で心が震えた。こんなすばらしい曲が世の中にあったんだって。ぜひこの曲を歌いたいと思ったんです。今だからこそ、この曲を世に出したいって」
レナード・コーエンが1984年にリリースした「Hallelujah(ハレルヤ)」。マドンナら多くの歌手にカバーされてきた名曲だ。ソロ名義では16年ぶりにレコーディングを行った。
「『ハレル』は『たたえる』という意味で『ヤ』はヤーウエイ(神)。でも私は『ヤ』を『ユー(あなた)』として歌いたいなと思って。今の人たちがお互いをたたえあったら、もっと優しい世の中になっていく」
英語の歌詞に自分なりの解釈を加え、感情的に歌い上げた。今回のオールタイム・ベスト盤の最新曲として収録すると、偶然にも31曲(ミイ)になった。
ピンク・レディー(PL)の〝「ミイ」として4年7カ月、走り続けた。1981年にデュオを解消。PL時代と同じプロデューサーと「ロックでやっていこうって」。国民的アイドルからの脱却から始まった。
「ただPLのときは上のパートで、高くて軽やかな声をしていたんです。ロックを歌うには物足りなくて、最初はわざと喉をつぶすようにした。わざわざお酒を飲んでステージに立ったこともありました」
「MIE」として、同年8月「ブラームスはロックがお好き」でソロデビュー。「ヒットを目指すのじゃなく、音楽を一つ一つ大事にやっていきたい」との思いが強かった。TBS系「ベストテン」のコーナー「今週のスポットライト」のオファーがあったが断った。
84年にTBS系ドラマ「不良少女とよばれて」の主題歌となった6枚目のシングル「NEVER」が大ヒット。だが、「PL時代から、路線をこう決められていたんです。レコード会社に、こういう音楽がやりたいと自分で伝えたこともありましたが、できなかった」。もどかしい思いを感じていた。
29歳で独立。同世代のミュージシャン仲間から「やりたい音楽を一緒に追求しよう」と言われたのがきっかけとなり、新会社を設立した。「やりたいことがやれる」と希望に満ちていたが、落とし穴が待っていた。
「見たことない金額や仕事がどんどん入ってきて、(スタッフが)勘違いしたのかな。このまま稼げるならいくらでも使えるって。私も会社の経営を任せてきりにしてしまっていた」
自宅のローンも含め、気が付いたときに借金は3億円に膨れ上がっていた。「このまま倒れると親も路頭に迷うと思って」。自己破産はせず、会社の再建に着手したのは33歳のときだった。
それまでお金の計算すらしたことがなく「会社経営は無理」と周囲から大反対されたが、経営を一から学ぶため、自己啓発セミナーなどに通い、「話し方」からやり直した。銀行を駆けずりまわり、1日の睡眠時間は2時間。「あのPLを乗り越えた私だから、乗り越えられる」。強く言い聞かせ、3年間で借金を返した。
この記事をシェアする