2012年の選抜大会で藤浪(手前)と大谷(奥)が対決。邨田はこの試合を生観戦していた 藤浪晋太郎が渡米前のラスト練習-。急きょ、鳴尾浜球場へ向かったのは新米トラ番・邨田直人だった。まだ誰もいない午前9時前に到着すると人っこ一人いない。不安になったらしい。若い頃の自分を思い出した。気持ちはよく分かる。もし、誰も来なかったらどうしよう?!
これが、何十年もトラ番を続けると「誰も来なければ、1行も書かなくて済む」と最低の発想をしてしまうのだ。トラ番諸君、そういう新聞記者になってはいけないゾ。
やがて藤浪が登場。
「練習後はバタバタするかもしれないので、きょうは先に(取材を)しましょう」
記者も、早く話を聞けたほうがいいに決まっている。相手の気持ちまで推察してくれる。さすがスターだ。
邨田記者は1994年生まれ。藤浪と同い年。大阪府高石市出身の邨田にとって、至近距離の堺市出身・藤浪は「ご近所の星」だった。
高校3年になる直前の春休み。野球をしていた弟と一緒に、甲子園の選抜を見に行った。開会式直後の第3試合。大阪桐蔭高vs花巻東高だった。そう、藤浪vs大谷翔平(エンゼルス)の、あの激突だった。一塁側スタンドから見た藤浪の快投、大谷の一発の記憶は鮮明だという。
「同世代に、野球では藤浪、大谷。フィギュアスケートでは五輪連覇の羽生結弦、僕が熱中したサッカー界では日本代表の10番を背負う南野拓実(ASモナコ)。みんな世界と戦うすごい世代です。だから、世界に挑戦する今の年齢の話を質問したのは僕なんですよ。遅いのか? 早いのか? 答えにくい質問だったかもわかりませんが、しっかり答えてくれました」
あいさつの際には「同い年です」とひと言、添えたそうだ。邨田が頑張ったおかげで、鳴尾浜で立派な1面ができあがった。
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