1月15日のヒューストン・マラソンを、日本女子歴代2位の2時間19分24秒で制した新谷仁美(34)=積水化学=が、「五輪至上主義」に疑問を呈した。帰国後の同23日に東京都内で行われた記者会見でのことだ。
2024年パリ五輪を目指さない-とは優勝後に現地で明かしていた。会見でも改めて聞かれ、トラック種目を含めてパリを目指す気持ちはないと答えた。その理由を私が質問すると、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで知られる新谷は答えた。
「私の中で、五輪に出ることがすべてじゃないというのがある。アスリートに求められるのは、まず結果を出すこと。そこはパリ五輪じゃなくてもいい」。さらに続けた。「(21年の)東京五輪を経験して、どれだけ五輪が国民に求められているかなと感じたことが非常に大きい」。
新型コロナウイルスの世界的流行で1年延期された上、コロナ禍の中での開催に疑問の声が上がった東京五輪。1万メートル代表だった新谷は「メンタルをやられた」という。
「アスリートって応援やサポートがないと絶対にできない仕事なのに、あの時、国民に寄り添えたのかなと。国民の声を普段から聴けているのかなと思い返したときに、若干私利私欲のためにやっていたなという反省もあったからこそ、今の答えに至ったのかな」
大きなスポーツ大会では、直前まで関心が低くても、いざ始まると熱狂を呼ぶ例は少なくない。事前にあれだけ批判されていた東京五輪も、終了直後の世論調査で五輪は6割、パラリンピックでは7割の人が開催してよかったと答えていた。ただ延期が決まってからの1年半には、筋の通らない非難や要求に直面した選手もおり、心労は大きかっただろう。
そんな中で選手と国民の関係を真摯(しんし)に考えた新谷の結論が「五輪が正義でも、出ないことが正義でもない。ただ、私には五輪を目指す気はなく、ほかで結果を出す」だった。結果を出すことは「支えてくれる人たちへの感謝の気持ち」を表すことだという。
サッカーや野球のように単独で大きなスポーツビジネスを構築できている競技はいいが、大半は五輪を頂点として強化のピラミッドが形成されている。各競技で世界選手権が行われていても、五輪ほど注目を集めることは少ない。多くの競技が一堂に会する「五輪」のブランド価値は大きい。
主催する国際オリンピック委員会(IOC)の金権体質は常に批判されるし、それは当然と思うが、五輪で集まる巨額の資金が流れることで命脈を保つ競技が多いのも、また事実だ。
そうした「マイナー」と呼ばれる競技にも、支えてくれる人に結果で感謝を表したいと頑張る選手はいる。陸上や競泳なら記録という絶対的物差しがあるが、対人競技や球技の多くは世界の舞台で勝たないと世界一と認められないし、その舞台はたいてい五輪なのだ。
だが東京五輪での収賄や談合で、五輪やスポーツへの日本国民の信頼は棄損された。開催国としてトーマス・バッハ会長らIOC幹部の言動に間近に接し、疑いの念を強くした人も多いだろう。
30年冬季五輪の札幌招致を目指す日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長は、ガバナンス(組織統治)体制を見直すために大規模な招致活動を一時中断すると発表した昨年12月に「自国で大会を開催することの意義は疑う余地がない」とコメントした。
五輪開催の意義を否定はしないが、そうした言い方が「上から目線」と映らないか、国民が本当に「疑う余地がない」と感じているのか、改めて考えてみてはいかがか。やはり新谷がいうように、まずは国民に寄り添い、頑張れと思ってもらうことが原点だろう。(只木信昭)
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