断髪式で、宮城野親方(元横綱・白鵬)のマゲにハサミを入れる森喜朗氏(代表撮影) ■1月30日 相撲解説でおなじみの北の富士さん(元横綱)の引退相撲(75年2月)はユニークだった。断髪式を終えるとすぐタキシードに着替え自らのヒット曲「ネオン無情」を土俵で披露した。ついさっき止めバサミに涙したのに「♪夜に咲いても花は花 あんないい娘(こ)を泣かすのは…」。その変わり身に館内は驚きやがて大喝采となった。
その後、力士のレコード発売が流行し引退相撲の土俵でタキシード姿での熱唱はお約束になった。先輩の親方衆も「本人が歌うなら問題ない」と黙認した。引退相撲は個人の主催で相撲協会はノータッチ。プログラムも自由だが、28日の白鵬引退宮城野襲名披露大相撲にはびっくりした。
オープニングで歌舞伎の市川團十郎が祝いの舞い「三番叟(さんばそう)」を舞った。土俵上での芸事は見たことがなかった。初日前日の土俵祭りで迎えた神様が千秋楽の神送りの儀で帰った後で支障はないにしても、引退相撲でも異例中の異例のプログラム。むしろ人脈を誇示するような感じもした。
森喜朗氏ら3人の元総理はじめ各界の錚錚たる出席者には目を奪われた。とはいえ八角理事長(元横綱北勝海)はじめ協会幹部が一人もいなかったのには違和感を覚えた。かつては横綱大関の断髪式では時の理事長がハサミを入れていた。昇進の際は協会が理事会で承認する地位だけに理事長が出席して当然だろう。
粗暴な肘打ちや張り手、審判部批判など身勝手な数々の言動…。土俵内外で品格を問われ続けた白鵬は、年寄襲名に際し「相撲界の習わしを守る」との異例の誓約書提出まで迫られた。贅を尽くした引退相撲の裏で容易には埋まらない深い溝を見せられた思いがする。(今村忠)
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