日本一に輝いた1985年、岡田氏(右)からビールを掛けられる吉田氏(1985年11月2日撮影) よく考えれば、今の状況を待ち望んでいたのは、阪神監督に復帰を果たした岡田彰布氏だけではない。球団唯一の日本一指揮官の吉田義男氏も思いは同じ。岡田監督が15年ぶりのタテジマなら、こちらは8年ぶりに〝後見人〟の座に戻った。今回、野球殿堂入りを果たしたランディ・バース氏へメッセージを送ったと思えば、岡田監督の個人後援会に出席し、甲子園歴史館の会議に登場したりと、寒波襲う1月は大活躍。次の誕生日でナント、御年90歳! 昭和の時代を沸かせた〝今牛若丸〟は令和になっても健在だ。監督自身が考えたわけではないのに、キャッチフレーズ「A.R.E.」にいたく感動していた。吉田氏と岡田監督。バース、掛布雅之の両氏とは、ひと味違う密接な距離感がたまらない。何よりオモロイ。『猛虎元年』とも呼べる2023年、我らがよっさんが、どんなコメントを寄せるのか。チーム状態を占うと言っても過言じゃないと思っている。
現役時代の吉田氏。右は藤田平氏(1967年撮影)1975年から3年間の第1次政権を経て、2度目の指揮官に就いた84年オフ。吉田氏はコンバートを断行した。83年に右大腿二頭筋断裂の大けがを負い、一塁手や右翼手に回ることが多かった岡田氏を、本来の二塁手に戻した。真弓明信氏を右翼手に、平田勝男氏を遊撃手に固定。バックスクリーン3連発など、日本一に輝いた85年は打ち勝ったイメージが強いが、鉄壁の二遊間で併殺を稼いだのも、大きな要因だとファンも関係者も口を揃える。選手会長としてチームを支えた岡田氏は愛弟子。監督候補だった我慢の日々の辛さをわかっているだけに、喜びもひとしおだ。
この記事をシェアする