門田博光選手は27号満塁アーチで月間本塁打記録を達成=1981年7月31日 南海、オリックス、ダイエーでプロ野球歴代3位となる通算567本塁打を放った門田博光(かどた・ひろみつ)氏が亡くなった。74歳だった。大阪サンケイスポーツでは2010年オフの企画「プロ野球三国志 時代を生きた男たち」の初回で当時62歳の門田さんを取り上げ、同11月から11回にわたって連載した。壮絶な野球人生を送った故人を悼み、同連載を再録する。第7回―。
アキレス腱断裂という絶望的なアクシデントを乗り越えた門田は、再び本塁打を量産し始めていた。1981(昭和56)年。開幕から好調だったフルスイングのアーチストだが、それを上回る驚異的なペースで打ちまくったのが「サモアの怪人」と呼ばれたトニー・ソレイタ(日本ハム)だった。
「6月終わり頃の時点でソレイタとは10本差(ソレイタ21本、門田11本)。相手のすごさを感じながらも、こんなことであきらめたらいかんよな、いくら離されてもついていくぞ、と自分を奮い立たせようと必死やった。そんな時、川崎球場の鏡の前で『極意』をつかんだんやね」
門田の話に「鏡」が登場するのはこれが2度目。前回は鏡に写った野村克也を左打者の手本にしたのだが、今回は自分自身。しかも「極意」とは…。
「なぜ、よし仕留めたと思った打球が仕留められないのか、後ろにいってしまうのか、と考えながら、ベンチ裏のスイングルームの鏡の前で振っていた。ホームランを狙い過ぎると踏み出すステップが大きくなることに気付いた。その分、バットが出てこない。遅れる。そこで、できるだけ体に近い位置、巻き付くように構えた。アッ、これはいい感じだなと…。極意やね」
極意は衝撃的な形で証明される。7月1カ月間の本塁打は16本。29年経った今も燦然と輝く日本記録だ。
オールスター前の20試合で15本を放っていた。打てばホームランという印象。その時点で、当時のプロ野球記録に並んだ。王貞治(巨人)が2度、大杉勝男(東映)、長池徳二(阪急)、ギャレット(広島)、マニエル(近鉄)がそれぞれ1度ずつ記録していた月間15発。新記録は、オールスター明けの7月31日、西武戦(大阪)にかかっていた。
この記事をシェアする