リーグ優勝を果たし、野村監督(左)にビールをかける門田さん(中央)=1973年10月撮影 南海、ダイエー、オリックスでプロ野球歴代3位となる通算567本塁打を放った門田博光(かどた・ひろみつ)氏が死去した。74歳だった。サンケイスポーツ専属評論家の江本孟紀氏(75)は24日、同学年の門田氏の急死を悼み、特別寄稿。南海(ソフトバンクの前身球団)でチームメートだった故人との記憶を披露してくれた。
また同学年の仲間が逝った。思えば半世紀以上前からの顔なじみ。門田のような強打者がいたから、われわれ投手も進歩できたと感謝している。
私が東映でプロ入りした1971年に、南海2年目の門田と対戦した。もっぱら敗戦処理だったこちらと違い、むこうは打率・300、31本塁打。打たれたことしか覚えていない。翌72年、南海へ移籍してから4年間は、チームメート。さらなる強烈な印象を持ったものだ。
体は決して筋肉質とはいえない。むしろ太っていた。その分、柔軟性があり、手首の返しも強かった。そのため、バットスイングがとにかく速い。当時、南海で監督兼捕手兼4番の野村克也さんを上回っていた。バットの風を切る音が、聞こえたくらいだ。
しかも、測ったようなレベルスイング。バットのヘッドがブレることはない。ストレートを、真っすぐのスイング軌道で打ち返す。今でも打撃の手本にしてもらいたいほど、技術にたけていた。
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