歴代2位の657本塁打を誇る野村克也さん(左)。同3位の門田さんとは真逆で「ヒットの延長がホームラン」と説いた 夕刻、衝撃の一報が飛び込んできた。門田博光さん死去-。大阪・難波の編集局は騒然となった。
今から10年以上前に門田さんを取材した。私のことなんて覚えていないだろうなぁと思いながら指定された喫茶店で待っていると…
「なんや、おまえさんか。懐かしい顔やな。あの頃は、俺に意地悪されてたよな。全くしゃべってもらえず、困ったやろ」
その通りだった。南海がダイエーに身売り、チームは九州へ行った。が、不惑の大砲・門田さんは九州へは行かず、オリックス移籍の道を選んだ。連日、マスコミは群がる。寡黙な門田さんはさらに口を閉ざした。めったにしゃべってもらえない。それでも、デスクの指示で食らいつく。
必死に取材するピヨピヨ記者の姿を、実は覚えてくれていたのだ。一気に話は弾んだ。
若き日。誰を手本にしていいか、悩み、探し続けた時期があったことを明かしてくれた。同じチームには野村克也という日本を代表する打者がいた。でも、右打ちだから左打ちの門田さんは手本にできなかった。
巨人・長嶋茂雄も右打ちだからダメ。王貞治は左打ち。でも、一本足打法はあまりに特殊すぎて論外。張本勲の打法も独特だから、切り捨てた。
どこかに、自分が目指す理想の打撃フォームをしている選手はいないものか。ある日、本拠地・大阪球場で凡退し、ベンチに下がって、洗面所で手を洗っていた。その時、目の前の鏡の中に、追い求めていた打撃フォームが映っていた。
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