テレビの歌謡番組を取材するため昨年暮れ、東京都内のスタジオに記者が顔を出したときのことだ。
番組プロデューサーから、年輪を重ねた鬼瓦のようなゴツい顔の男性を紹介された。渡された名刺に「川岸咨鴻(ことひろ)」とある。長男、川岸一超(かずゆき)氏(39)が社長を務める芸能事務所、ENPASSの名誉会長、御年82歳である。
「僕のことを最近書いてもらった本があるんだ。今度、送るよ」-。別れ際、意外に(!?)愛嬌(あいきょう)のある笑顔で言われたが、正直忘れかけていた頃に1冊の本が届いた。表紙のメインタイトルは「川岸咨鴻伝」(発行・山中企画)。川岸さんのアップの写真とともに、副題には「コサキンを『3億年許さん!』と叱責した男」とある。
コサキンとは、穏やかな笑いを振りまく小堺一機(67)と関根勤(69)のことである。あの2人を「許さん」とはなんとも物騒な話。暴露本かと思って読み始めたら…。芸能界の裏側の人間模様がエピソードも豊富に生き生きと描かれ、何とも面白い。歌手の藤圭子さんをはじめ数々のスターのマネジャーを務めた川岸さんの生き方が失敗談を含め、著者の山中伊知郎氏によって軽妙につづられていく。
川岸さんは群馬県立桐生高校の野球部出身。体力と声のでかさを買われて演劇の裏方の仕事から始め、1960年代当時芸能界で盛んだった草野球チームの一員として顔を広げた。20代のとき「楽しそうだから」と歌手、若原一郎さんの専属バンド入り。教則本で懸命に独学しトランペットを吹いた。
しかし、自ら才能がないとあきらめ30歳を前にマネジャーに転身。いくつかの芸能事務所を渡り歩いた。持ち前の体力に加え、問題が起きたときは揚げまんじゅうやたい焼き持参で謝罪に行くフットワークのよさを持ち味に、人気絶頂だったコント55号の所属事務所専務にも抜擢(ばってき)された。小堺や関根のほか、お笑いコンビ、ずんやキャイ~ンを育てた。
ちなみに、コサキンを「3億年許さん!」と叫んだ逸話は1981年、当時のTBS系人気ラジオ番組「夜はともだち」で2人が代役出演したときのことだ。2人は突然のチャンスにアガリまくり、お互い得意なものまねを披露するも一向に話がはずまないうちに終わってしまった。
「なんだ、てめーら、やめちまえ!」と電話で怒鳴りつけ、さらに、くだんの言葉を投げつけたのが川岸さんだった。小堺と関根のトークの稚拙さに腹が立って、思わず怒鳴りつけたのが真相だが、それだけ2人に期待し愛情を注いでいた証左でもある。
だからこそ、2人は懐の深い川岸さんの人柄の証言者として同著に登場。ずんの飯尾和樹(54)やキャイ~ンも同様に登場しており、いかに慕われているかが分かる。「生涯一マネジャー」が信念の川岸さん。サンケイスポーツの取材に「人の才能って、いつ、どう開花するか分かんないよなあ。それを前もって見抜けるなら、マネジャーは、いらないけどね。ハハハッ」と豪快に笑った。
縁の下の力持ちとは、こういう人のことだろう。個性派は芸能界の表舞台に限らない。それこそドラマか映画にもなりそうな熱血ぶりが楽しい1冊である。(森岡真一郎)
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