ヌートバー(左)と母・久美子さん。カージナルス傘下2A、スプリングフィールド時代に撮影された(祖父の榎田達治さん提供) 新進気鋭のホープは、いかにして生まれたのか-。3月に開催される第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に名を連ねたラース・ヌートバー外野手(25)=カージナルス=の母・久美子さん(57)がこのほど、サンケイスポーツの取材に応じ、息子の教育法を明かした。〝米国流〟と〝日本流〟を組み合わせたハイブリッドな子育てに迫った。
自由に伸び伸び。これがヌートバー家の教育方針だ。米カリフォルニア州ロサンゼルス近郊のエルセグンドという街で暮らす。目と鼻の先には広大な総合運動施設がある。埼玉県で生まれ育った久美子さんは、異国の地で生活拠点を探していたとき迷わず決心した。
「『ここしかない』って。主人も私もスポーツをして育ったので、それが当たり前みたいな感じでした」
バスケットコート、ローラーホッケー場、ランニングコース…。もちろん野球場もある。その名も「ジョージ・ブレットフィールド」。米大リーグ通算3154安打を放った英雄の名前に由来する。ヌートバーは幼少期、学校から帰宅して間もなく〝遊び場〟へ駆け出した。久美子さんは「夜10時になると(施設の)電気が消えたけど、それまで遊んでいるような感じでした」と苦笑交じりに振り返った。
ヌートバーは野球のほかバスケ、サッカー、ローラーホッケーなどにも取り組み、ジュニアライフセービングも経験。クオーターバックとして名をはせたアメリカンフットボールでは、複数の大学から勧誘を受けた。さまざまなスポーツに励むのが〝米国流〟。両親は息子を日本語学校に通わせることも検討したが、運動に貪欲な姿勢を尊重し、自由に挑戦させた。
久美子さんは学生時代、ソフトボールに打ち込み、強豪の埼玉・松山女子高で活躍。俊足を買われて遊撃や外野を守った。米国出身で日本企業に勤めたこともある夫、チャーリーさん(56)は元野球選手。学業を優先して高校で引退したが、実力者だったという。2人は久美子さんの語学留学先のカリフォルニアで出会った。その後、日本に留学したチャーリーさんは埼玉県内の久美子さんの実家にホームステイし仲を深めた。
〝日本流〟の教えもある。「時間厳守。(門限に)帰ってこないと鍵をしめちゃうんですよ」と久美子さん。協調性の大切さも説き、玄関で靴を脱ぐなどの日本文化も伝えた。ヌートバーはメジャー入り後、食への意識が変化したという。それまで口にしたジャンクフードは避け、体づくりに日本食を活用。箸を使って納豆やみそ汁を食べ、うどんやそばも好む。