夫婦二人三脚で映画を製作してきた吉田さん(右)と岡田(2002年7月撮影) 「松竹ヌーベルバーグ」の旗手として国内外で活躍した映画監督、吉田喜重(よしだ・よししげ)さんが8日午前8時33分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。89歳。福井市出身。葬儀は近親者で行う。喪主は妻で女優、岡田茉莉子(89)が務める。
1955年に東大仏文学科卒業後、松竹大船撮影所に助監督として入社。故木下恵介監督らに師事し、60年に「ろくでなし」で監督デビュー。「秋津温泉」「嵐を呼ぶ十八人」などを手掛け、先鋭的な作品で故大島渚監督、篠田正浩監督(91)らとともに「松竹ヌーベルバーグ」と呼ばれて注目を集めた。
64年、多くの映画賞を獲得した「秋津温泉」を企画、主演した岡田と結婚。松竹退社後、66年には妻と現代映画社を設立。無政府主義者を取り上げた代表作「エロス+虐殺」は前衛的な作品でフランスで高く評価され、73年の「戒厳令」などと合わせて近現代の日本政治批判3部作に。テレビドキュメンタリーも数多く制作した。
「戒厳令」を公開後に映画界から距離を置いたが、86年に「人間の約束」で13年ぶりに監督復帰し、芸術選奨文部大臣賞を受賞。「鏡の女たち」が2002年のカンヌ国際映画祭で特別招待作品に選ばれたが、脚本を書く段階で「これが最後。もう映画は撮りません」と岡田に伝えていたという。
また、1990年に仏リヨンのオペラ座で「蝶々夫人」の演出を担当するなど文化交流に貢献したとして、03年にフランス政府から芸術文芸勲章オフィシエ章を受けた。各国の映画祭で特集上映が行われるなど、海外で高く評価された。
この記事をシェアする