かど番だった大関正代が九州場所で6勝9敗と負け越し、来年1月の初場所では関脇に転落することになった。ということは、来場所は照ノ富士と貴景勝の1横綱1大関というさみしい番付となる。明治31(1898年)年1月の春場所以来、実に125年ぶり。日清戦争が終わった直後で、伊藤博文が内閣総理大臣だった年以来の珍しい番付になるわけだ。
当時は年2場所。明治30年春場所で大関だった大戸平が、次の5月の夏場所で関脇に陥落。横綱小錦と大関鳳凰だけになり、次の31年春場所もこの2人による1横綱1大関だった。小錦といってもハワイ出身の巨漢ではなく、第17代横綱の初代小錦である。背は低かったようだが、俊敏な動きの突き押しでスピード出世した。31年夏場所で朝汐が大関に昇進したため、1横綱1大関は2場所で解消された。その後、梅ヶ谷と常陸山の全盛期を迎える。
大関以上が2人だけになるのは、横綱不在だった平成5年初場所以来、30年ぶりの最少タイだ。前の場所で途中休場した霧島が大関から陥落し、大関が曙と小錦だけになってしまった。優勝した曙が横綱に、貴花田(のち横綱貴乃花)が大関にダブル昇進したため、次の春場所は1横綱2大関になった。ただし、当時は貴花田が女優の宮沢りえと婚約を解消する騒動があり、相撲担当記者はそちらの取材もあって振り回されっぱなしだった。
平成4年夏場所も横綱不在で大関も小錦と霧島の2人だったが、横綱北勝海が引退したのが初日の2日前だったので、番付表には北勝海の名が載っている。横綱が空位になるのは60年ぶり2例目とあって、国技館に併設されている相撲博物館に通って、当時の番付表をめくったものだ。
まあ、そんなわけで、1横綱1大関だけという番付は極めて珍しい。125年前の場合は2場所で終わったが、今回ははたして…。九州場所では関脇豊昇龍が11勝を挙げたが、その前は8勝なので、初場所でよほどの大勝ちをしなければ、いきなり大関に上がるのは難しいか。1横綱1大関といっても、照ノ富士の膝の状態次第では休場が続き、土俵に上がる大関以上は貴景勝だけという場所がしばらく続くのだろうか。(牧慈)
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