くすぶり、埋もれかけていた才能が時間と環境によって開花する。そんなサクセスストーリーの途中かもしれない。今秋のドラフト会議でDeNAから育成4位で指名されたリリーフ右腕、渡辺明貴(あき)投手(22)だ。BCリーグ・茨城で2年間を過ごす前は、高校中退後にアルバイト生活や韓国球界で夢を追った。中でも野球人生に大きな影響を与えたのが、2020年に参加したアジアンブリーズだ。
「真っすぐを売りにしていて、日本でもそんなに球速が遅い方ではなかった。でも、米国では球の速い投手しかいなかった。そこで自分の現在地が分かりました」
アジアンブリーズとは、参加費を払い〝トライアウトチーム〟に加入し、米国でエキシビションゲームを経験する組織。例年、3月の約2週間でアリゾナ州内のメジャー傘下のマイナー球団や独立リーグ、メキシコ球団と実戦を行いながら、米国内のスカウトの目に留まれば、米独立リーグや、マイナー契約を獲得できる、という趣旨だ。
企画や運営はBCリーグの茨城アストロ・プラネッツでゼネラルマネジャーを務める色川冬馬氏(32)が務める。日本のプロ野球経験者やアマチュア選手に海外での野球を体験することを勧め、立案した。その思いには、潜在能力を発揮しきれなった若い才能へ、セカンドチャンスを与えたい、との熱い思いがある。
渡辺は色川氏のこのコンセプトにふさわしい人材だった。「球速は150キロを出せるし、体格もいい(188センチ、105キロ)」とポテンシャルを認めつつ「でも…」と苦笑いで教え子の過去を振り返る。
「マウンドまではダラダラと歩いて向かう。練習のキャッチボールは山なり。いつも、ふてくされて、やる気あるのかな? という雰囲気だった」
誤解を恐れずにいえば、2年前までの渡辺は〝反抗期〟が終わっていない未熟な子供だった。
実際、メジャー傘下マイナー球団からは、その能力を認める評価を受けるも渡辺の振る舞いに難色を示し「メジャーリーグの球団としては、獲得するのは難しい」と野球の実技以外が〝落選〟の理由になってしまった。渡辺も「あのときは、ばかだったので、本当に…」と気恥ずかしそうに笑う。
20年にBC茨城に入団すると生活態度、野球への取り組みを改めた。
「このままでは、かっこ悪いな、と思った」と渡辺。松坂賢監督からの〝生活指導〟などもあり、態度を改め、そしてチームの勝利に貢献する喜びを知り、そのための正しい取り組方も理解した。150キロ超の直球にスライダー、フォークボールの精度も向上し、プロ入りを果たした。
「支配下(登録)を目指して、勝ち試合を任されるような投手になりたい」
高校中退やいくつものチームで花開かなかった。しかし、能力を信じてくれた周囲の人たちと自分自身がいる。来年23歳を迎える右腕は、村上(ヤクルト)らと同世代。今回のドラフトでDeNAは支配下5人、育成5人の合計10人を指名した。〝ドラフト9位〟には、成長への余白が十分ある。(山田結軌)
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