楽天からドラフト1位指名された荘司康誠(しょうじ・こうせい)投手(22)=立大=は遅咲きの投手だ。東京六大学リーグで初勝利を挙げたのは4年春。全国から腕に覚えのある高校球児が集まる同リーグでは、プロに指名されるような投手は下級生から活躍することが多い。最終学年でリーグ初白星をマークした投手が、ドラフト会議で1位指名されるのは珍しい。
彦根東高(滋賀)のエースとして甲子園を沸かせた同じ4年生の慶大・増居翔太投手(22)は1年春から活躍。リーグ戦通算17勝(2敗)を挙げている。対して荘司は通算2勝(5敗)。4年間の成績を比較しても、189センチの長身から最速157キロの直球を投げ込む右腕は、そのポテンシャルを期待されていると感じる。
「(思うような結果が残せず)つらいことはありましたけど、自分に期待し続ける。そんな心の持ち方でやっていました」
順風満帆な野球人生ではなかった。新潟西シニアに所属していた中学時代は成長痛(成長期に起こる子供の下肢の痛み)に悩まされた。母・裕子さんは当時を振り返り「あちこち痛がっていました。(チームには)所属していましたが、野球は無理せずという感じでした」。ポジションは外野手。ほとんど試合に出ることはなかったという。
新潟明訓高で本格的に投手を始めたが、エースとして臨んだ3年夏は新潟県大会の初戦で敗退した。高校時代は無名の存在だった。東京六大学リーグでのプレーを夢見て勉学にも励み、指定校推薦で立大に合格。しかし、1年時に右肩痛を発症した。投げられない時期もあり、リーグ戦デビューは3年春だった。
苦しい時期、荘司は自身ののびしろを信じ続けた。「自分に期待するためには、期待されるにふさわしい人間でいないといけない。自分で決めたノルマをやれなかったら、そういう姿ではない。恥ずかしくないような自分でいることを心がけてやっていました」。
故障を防ぐため、体の使い方を徹底的に見直した。大きな体を生かせるような投球フォームを身につけたことで、自己最速は大学1年時と比べて約20キロアップ。大学日本代表に選出されるまでに成長した。父・聡さんとともにリーグ戦の度に新潟から上京して神宮で声援を送った裕子さんは「苦労してきた分、自分でここ(大学4年)に合わせてやってきたのかな」と愛息に目を細める。
そんな荘司には試合前やトレーニング中に聴く〝勝負曲〟がある。ニッポン放送のラジオ番組「オールナイトニッポン」をきっかけに大ファンとなったヒップホップユニットのCreepy Nutsが歌う「のびしろ」。楽曲と自身の野球人生を重ね、「僕にぴったりかな」と笑った。
プロでの最大の目標は、先発完投型の投手に贈られる最高の栄誉である沢村賞。11月9日の入団交渉後の記者会見では「2年後の最速160キロ到達」も誓った。「いま以上にシビアに。周りと比べず、自分のレベルを上げていく。目先のことを一つずつクリアしていくことが一番の近道だと思います」。即戦力投手であること以上に、スケールの大きさを感じさせる荘司。杜の都のエースとして期待される22歳には、のびしろしかない。(武田千怜)
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