20日に開幕するW杯カタール大会で日本を率いる森保一監督(54)は、現役時代にW杯初出場を目前で逃した1993年10月28日の「ドーハの悲劇」を経験した。因縁の地で日本初の8強入りを目指す指揮官に、中盤でコンビを組んでいた吉田光範氏(60)がエールを送った。(取材構成・邨田直人)
29年前、「ドーハの悲劇」と呼ばれたイラクとのW杯予選最終戦。吉田は中盤で、森保とダブルボランチを組んだ。かつての相棒は日本代表監督として、再び因縁の地に乗り込む。「W杯は日本サッカーのお披露目の舞台であり検証の場。いい仕事をやってくれると思う」と期待を込めた。
1992年4月の静岡・浜松合宿。主力だった吉田は、主将の柱谷哲二と選手リストを確認していた。「森保一と書いてあった。〝森〟に〝保〟に〝一〟で、どこで区切っていいのやら。『もりやす・はじめ』と聞いて、2人であだ名をつけた」。これが「ポイチ」と呼ばれるようになった始まりだ。
最終予選を控えていたオフト監督は、マツダ時代に直接指導した森保を突破のキーマンと考えていた。目立った存在ではなかったが、吉田はすぐに光るものを感じた。その特長を「中盤の底で、11人がすっと収まるようなプレーをしていた」と表現する。
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