広島のユニホームを脱ぐにあたり、最後の言葉はあっさりしていた。10月3日の佐々岡真司監督(55)の辞任会見。報道陣の「3年間を振り返りチームに残せたものは?」の問いに潔く言い切った。
10月2日の最終戦を終えて、花束を受け取る広島・佐々岡前監督「ないかな。自分の中では、ないからチームを辞めないといけない。チームも優勝争いができなかったのだと思う」
広島のエース、抑えとして活躍後、2軍投手コーチ、1軍投手コーチを経て2020年に監督就任。1年目は5位、2年目は4位、3年目の今季は阪神、巨人と最後までAクラスを争ったが、5位に沈んだ。監督就任から3年連続でリーグ優勝を逃した責任を一人で背負い込んだが、功罪の両方があるはずだ。
「功」では森下と栗林の発掘が印象に残る。森下の単独1位指名は、19年秋のドラフト会議前に映像を見た佐々岡監督が獲得を熱望して実現。森下は1年目の20年に10勝を挙げて新人王に輝き、すでにエースの貫録がある。21年にドラフト1位で入団した栗林はトヨタ自動車ではエースとして活躍していたが、リリーフとしての適性を見抜き、新人では異例の開幕守護神に起用。新人最多タイの37セーブを挙げ、チームとして2年連続の新人王を獲得。球界トップの守護神となり、ブルペン陣を引っ張る存在となった。
一方、「罪」の部分はベテラン野手に頼り過ぎ、有望な若手が出てこなかったことだ。今季のレギュラー野手8人で、25歳以下は遊撃手の小園と三塁手の坂倉の2人のみ。親会社を持たず、フリーエージェント宣言した選手や大物外国選手の獲得は難しいチームにとって、若手の育成は至上命題で後れを取り戻す必要がある。
佐々岡監督は「来季はいちカープファンとしてずっと応援をしていきたい」とエールを送った。緒方孝市政権(15~19年)の16~18年にリーグ3連覇した際、チームの土台を作った野村謙二郎政権(10~14年)を再評価する声があった。佐々岡政権はいばらの3年間となったが、最終的な評価は時間が経ってから決まることになるだろう。(柏村翔)
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